「たわし」と祖父
キッチンで洗い物を終えてシンクをたわしで洗っている時、
私はいつも亡くなった母方の祖父を思い出す。
私は自分の父が亡くなった6歳から、実家を出る15歳までは母方の祖父母と一つ屋根の下で暮らしてきた。
いかにも家長、という風格なのだけどとても優しく、祖父には本当にかわいがってもらった。
祖父は男ばかりの10人兄弟の真ん中で、農家の家から飛び出し、事業を始めた人だった。
そんな祖父は月初めには必ず京都の伏見さんへお参りに行き、お墓参りも欠かさず行っていた。
私も実家を出るまではお墓参りにいつも同行し、祖父の実家や祖父の兄弟の家などに挨拶に行かせてもらった。
そんな祖父のお墓の掃除はとても念入りで、お墓に置いてある桶に水を入れ、雑巾とたわしで墓石をいつもとても綺麗にする。
中でも印象に残っているのが、お墓の水受けを祖父がたわしで力一杯磨いていた姿だ。
たわしの方がどうかなるんじゃないかというくらい祖父は力を入れて丁寧に磨き、最後に水受けに、新しい水をたっぷりと注ぐ。
その瞬間、私はいつもお墓の中の会ったことのないご先祖様や祖父の両親が「はぁ〜」深呼吸しているような、そんな気持ちによくなったものだった。
それは、花瓶の水を新しく入れ替えた時に、お花がすっと立ち上がるような、周りを纏う空気が一段澄んでいく、そんな感じと似ている。
私は祖父ほど渾身の力を込めてシンクは磨かないが、それでもタワシを持つと毎日祖父を思い出す。そしてちょっと胸がきゅん、とする。
祖父はお墓の水受けに限らず、水回りをいつも綺麗にするようにと言っていた。あまり家事をする人ではなかったが、トイレ掃除は進んでする人だった。
しかし、晩年緑内障で片目を失明し、運転免許を返納してからは、お墓にも行けなくなり、事業も手放し、外出もほとんどしなくなった。
そのあたりから、祖父は私の記憶の中の「おじいちゃん」ではなくなっていった。
歳のせいなのか、気持ちのせいなのか、祖父はもう昔のように水回りを綺麗にすることは無くなっていき、私は実家に戻るたびに、祖父一人となった家のトイレや水回りがうっすらと汚れていくのを見る度に胸が痛くなった。
でも、そうやって、人生を通してその人が大切に積み重ねてきたものをひとつひとつ手放し、またゼロになり、いくべき場所へ帰っていくことを祖父の後ろ姿から学ばせてもらった。
晩年は水回りを綺麗に保つ祖父ではなくなっていたけれど、それでもお風呂は大好きだった。
祖父が亡くなった時、母は最後にお風呂に入ることができなかった祖父に湯灌を施してもらおうと言った。
湯灌師の方が二人こられて、優しい手つきで硬くなり始めた祖父の体をほぐし、綺麗に身なりを整え、祖父の旅立ちの準備を整えてくれた。
元から穏やかだった表情がさらに柔らかく穏やかになったのを見て、私はお墓の水受けに新しいお水が注がれた、あの時と同じ澄んだ気持ちになった。
きっと祖父も同じだったに違いない。
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こんな風に、私は頭の片隅でいつも元気な頃の一生懸命にお墓の水受けを磨く祖父を思い出しながらキッチンのシンクを磨く。
「そおやそおや、はるちゃん、えらいのぉ」と
おじいちゃんはもう笑って私のことを褒めてはくれないけれど、水回りの掃除をする私は祖父を思い出し続けるのだろう。
いつか、必ず私にも訪れる祖父のようにすべてを手放す日が来るまでは。
山口春奈
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