三十三回忌に寄せて
お父さんへ
元気ですか。
今生きていたら、65歳?かな。
私は38歳になりました。もう私の記憶の中のお父さんよりも6歳も年上になりましたよ。
32年前、お父さんが天国へ行ったことを聞かされた日の朝のこと、今でもたまに思い出します。
お父さんの最後のお別れの時に私はお父さんにピアノを弾きました。
お父さんは聴こえていましたか?
間違えて繰り返しを一回多く弾いてしまった、バッハのメヌエットとジーグ。
お父さんは私に生まれて一番最初にサウンドオブミュージックを聞かせてくれたと後になって聞きました。私は、お父さんに最後の音楽を届けられました。
30年経って、私はまたお寺でピアノを弾いたり、歌を歌わせてもらったりしています。数年前、お盆の法要で歌わせてもらった時にお父さんのお葬式が頭をよぎりました。
私30年前と同じことしてる!
生まれてからずっと、音楽をやってきたし、20代ではメジャーデビューもして、周りから見たら華やかな時もありました。
でも、私の中には、「何か違うなぁ」という気持ちがずっとあって
その違いが何かをずっと探してきました。
でも、ここ10年くらい、特にお父さんの亡くなった年齢を越えたあたりから、少しずつ自分のしたいことの輪郭が朧げながらにも見えてきました。
まだまだ手探りではあるんだけど、少しずつ近づいてきているのかな、という気はしています。
でも、迷ったときは、30年前のことを思い出します。
お父さんが亡くなったことは、素直に悲しかったし、寂しかったし、その事実が消えることはないけれど、あの時、お父さんに届きますようにと必死で弾いたメヌエットとジーグ。
それこそが、私がこれからの人生の中で目指す音楽です。
音楽は祈りだとあの時に私は身をもって知りました。
そしてそのような音楽を奏でている時、生きている人と、亡くなっている人という境界線も、そこにはありません。
ただそこには「つながっている」という感覚がある。
その感覚が、決して消えることはない悲しみの中で私にどれだけの生きる希望を与えてくれたことか。
あの感覚は、私にとって北極星のような存在です。
私は自分がやろうとしていることをまだ上手に言葉にできません。
けれど、自分の目指すところの真ん中には、32年前のあの日の経験があります。
お父さんが教えてくれたことでもう一つ大切なことは、
悲しいことは、決して悲しいだけではないということです。
それは、悲しみは大きければ大きいほど、大きな希望の種に変わる日が来る、ということです。
私は一時は悲しみをゼロにしてしまいたい、と思っていました。
でも、歳を重ねていくごとに悲しみという影が際立たせてくれたたくさんのものがあることに気がつきました。
私は悲しみを通して本当にたくさんの幸せと出会えたと今では思います。
ただ、それには長い長い時間がかかったし、私の中にある悲しみが
私の心に悪さをしてくる日だってまだあります。
けれど、私はそれでも、この悲しみと仲良く自分の人生を大切に生きていきたいと思えるようになりました。
そして、そのお供をしてくれるのが、他でもない、お父さんとお母さんが私に与えてくれた「音楽」です。
お父さんを見送ってから33年目の今日、もう一度あの日の自分を思い出して、自分の与えられている人生を一歩一歩、大切に歩んでいきたいと思っています。
そちらへはまだしばらく行かないと思うので、応援しておいて下さい。
それでは、また。
春奈
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