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記憶の揺籃、消えゆく場所に種を蒔く
2年前、寮生活を送った下北沢で小田急線が地上を走っていた時代の街並みと開発に抗う反対運動の存在を知った。そのとき私は過去の下北沢の忘れ去られようとしている「<場所>の記憶」に強い憧憬を抱き、それらを可視化すべくその方法論と意義をテーマに探究活動を開始した。
そこで制作したのがデジタルアーカイブ「LOCAL LOG」だ。これは写真と言葉で「<場所>の記憶」をすくい上げ日本各地の記憶を地図上にマッピングする取り組みである。更には、ライフヒストリーを通じて<場所>認識の構築過程を探り、如何なる共有が可能か試行錯誤に没頭した。結果、内なる探究の熱は都市空間への物理的な介入へと昇華された。それが「下北沢の記憶」と題して自主企画した屋外展示だ。ポリエステルフィルムに住民の記憶を印字し風になびかせ、街に新たな視覚的体験を創出。本展示では、鑑賞者が住民の記憶を眼差すことで鑑賞者自身の記憶をも呼び起こし、自らの記憶を顧みる場を構想した。
一方、記憶の言外性にも目を向けてきた。言葉は記号ゆえに共通認識を促す伝達ツールになるが言葉が指し示す対象の複雑性は淘汰し削ぎ落としてしまう。<場所>が含む機微まで取り込むには写真と言葉では物足りない。そこで非言語概念を五感から紐解き複雑性の可聴化を試みたメディアの作品制作に携わった。開発の波が押し寄せる赤羽地域をフィールドに地域性のある音をフィールドレコーディングし鯨の鳴き声に変調を試みたメディアアートである。本作は「DESIGNART TOKYO 2024」へ出展を行った。
以上の探究から私は、自らの立場性を顧み、方法論の限界に迫った。そこで得たのは創造者としての力を身につけ、”精霊の守り人”になることへの自覚である。
まず、立場性について言及したい。私自身、本探究を行う以前は1都市生活者としての街への関わりに消極的だった。管理された消費空間の中で生きることが自明の日常生活で目の前の都市生活を自らの力が及ばない領域のものと外部化して捉え、漠然とそれを受け入れていた。過去に思想家アンリ・ルフェーブルはこのような状況に対して警鐘を鳴らし、市民たちが自らの空間感覚・身体感覚・時間感覚に基づいて自分たちなりにの都市空間を活用する「我有化」に期待を寄せていた。残念なことに、探究活動開始前の私は圧倒的に後者の立場であり、文献調査の過程でその自覚は確信に変わった。しかし、勇気を出し一歩外に踏み出した途端、都市への介入の航路が開かれた。ポリエステルフィルムに印字した記憶を片手に街を歩き、人に記憶を尋ねてはそれらをマッピングする日々は私に都市と記憶を知る面白さを与え続けた。<場所>の記憶を表出させた下北線路街空き地という公共空間は誰もが自発的に何らかの催しを開く場と機会を支援することで挑戦を後押しする。デジタルに留まらず、質量を伴った展示会を実現できたのもこの様な街のオルタナティブな空間活用があってこそである。この様な活動の変遷を経る中、メディアへの掲載や研究会での発表を通じ対外への公表の局面を迎えた。活動に対し度々批評を受けたが、最も耳が痛かったのはデジタルアーカイブに対する「インスタグラムの免罪符同然だ」の一言。私が人々の声を聞き、それぞれの街の変数を表現すべく構築したWebサイトは、人々の記憶を単一的に管理し、ただ美しい風景の写真と綺麗な言葉を並べ立てた「インスタグラム」の見方によればそのような機能性も有していたと頷ける部分もあった。より批判的に捉えれば、単なる〈空間〉認識の増幅を生み、〈場所〉特有の情感やアウラを可視化し伝達する意識と努力が欠けていたと言える。都市への介入には開かれた土壌も存在する一方、自らの加害性に自覚的にならなければ現在の消費的かつ保守的な都市構造を再生産しかねないと危機感を覚えた瞬間であった。
そして、この延長には方法論の限界が頭を覗かせている。客観的評価から自らの課題点を認識したもののそれらの改善は私にとって大きな壁であり、自らの関心が向ける矛先と課題解決の接続地点には如何なる方法論が適切か苦悩した。数々の思索と実践を重ねた上で現状の私の力量では及ばぬ領域があると挫折し、既存の学問体系からの解決を目指した。一度は抜本的な政策学的方策からの解決が先決だと考え政治学への学びを志したが、ある教授の謦咳に接してそれは変わった。彼が強調したのは、実践からボトムアップに生じる成果である。いじり回し、もがいている間にいつの間にかものが動く。その後に理論化するのが科学であり、既存の学問体系には解法がないことばかりだと言及した。研究者のその言葉は私に内なる反省を促し、表現者の志を立て直す大きな契機となった。私が目指すのは、無印都市への介入だ。それは、都市にある無数の変数を可視化し人々の街に寄せる思いに目を向け<場所>の記憶を眼差すことから<場所>の価値を世に訴えていく波である。既存のツールとして、生活史や無数のデジタルアーカイブ、文化資源は眠っているがそれらは開発段階で時間をかけて紐解かれることもなければ都市の未来を考える議論の中で活用されることもない。街という共通の舞台の上で開発主体と生活主体が自立共生的に都市開発を進めるには、道具の開発は必要不可欠だ。主体同士、単なる熟議だけでは収束しない局面に差し掛かっている。都市の権利を持てる個人は立ち上がることなく<空間>化の波に知らぬ間に侵食され、均質化した空間に生きる人々はその影響に抗いきれず模倣ばかりの住民不在の都市に生き続けることになる。電車の乗客が無思考にスマホを眺めるように、安直な手法でその場しのぎをしてはならない。実直に、言外性ある<場所>を表出させる方法論について考え、表現者として私は訴え続けたい。都市の権利を持てる個人に立ち上がるきっかけを与えられる道具の開発や場のデザインを試み、都市空間をハックする。そこから人々がそれらを活用し、自ら<場所>に自覚的になり保全する強い地域の柱を築きたい。これは、大きな開発の波にも耐えうる支柱だ。さすれば、開発の局面で保全や維持、改築のような応用の効いた柔軟性ある開発に向けた対話が生まれるのではないだろうか。そのために、私は表現技法の先鋭化から創造者となり、トランジションデザインに臨む精霊の守り人になりたい。