最適確などないけれど。
近似値は探していこうと思うのです。
今回は、SNS上での人との関わりについて。ダウナーではなく、素敵な関わりです(ネットでマイナス面は極力綴らぬのが個人的ベクトルなので)。
さて、本題ですが。既出記事とリンクするというか重複する部分もあるのですが、2023.5月から再出発(2017に1ヶ月ほどアカウントを持ち、立ち位置を見つけられずに退会)したこのnote。
ひとりBlog的に綴り、X(Twitter)等でシェアしていけばいい。そう考えていた私の方向性を変えてくれたのがみんはい (みんなの俳句大会 )でした。みんはいの存在を知ったのが企画締切ギリギリだったので俳句や短歌(私は歌詠みですので短歌で参加予定でした)の提出は間に合わず、しゅんしゅんぽんにこそりと参加、そこで過分なご縁を頂戴しました。
私が物を書く世界に飛び込んだのは、1994年。時代はまだ活字主体で(インターネットは一般化しはじめた頃)、私が所属したのも短歌同人誌、活字でした。
短歌同人誌が無期限休刊(終刊)して正直なところ、私は開放感を感じていました。「素人が背伸びして書かなくても、詠わなくてもいいんだ、もう」と。私は二度と三十一文字を詠うことはあるまい。そう思った30代の終わり、それから20年以上の年月を経て積極的に詠うことになるとは、自分でも驚きを隠せないでいます。
短歌が拙稿の主体になることは恐らくありませんが(随筆を綴ることを主眼に置いています)、詠うことを手放すこともないだろう。今はそう思っています。
私は平素(自画自賛的をお赦し頂きたく)冷静沈着な質と自認し、他からもそう見られていると思います。それが、こと表現活動となると暴走列車💦と化す。私のnote(毎日投稿の看板は下ろしたものの、ほぼ毎日複数記事を投下)の有様をご覧いただれば、苦笑い・呆れ顔で「こいつ正気か?」とお思いになる方がおられるかと。
若い頃なら体を壊す所業。それを初老という歳がバランサーとなってくれている気が致します(何せ無理の利く歳ではありませんから(^^;)。
そして今。以下の記事に綴ったように、水面下で自分を掘り下げる作業をしております。
全くの偶然なのですが、この取り組みでお導きいただいているakkiy☆さん もみんはいに関わる方と知りました。
物事に無駄なことなどない。そして偶然という必然があるのだ。改めてそう感じました、小さな偶然を見て。
雫一滴が集まり小川となり、それが徐々に大河となって。やがては大海原へと注ぐ。海から上がった水蒸気が雲を作り、雨を降らせ、大地に注ぐ。心が魂に等しいものならば、命とも同一でしょう。生命は循環する。縁もまた、それと同じように巡っていく。
等、大袈裟な文言を恥じつつ、今回の記事を終わります。
この拙い文言が、みなさまへの御礼に繋がることを願って。
この曲を聴きながら、今回の記事を綴りました。
#振り返りnote
#noteのつづけ方
#ほぼ毎日note
#御礼に代えて
#みんなのフォトギャラリーから画像を挿入
#119日目
#YouTube
#河井英里
#スカボローフェア
#サイモンとガーファンクル
#カヴァー曲
拙稿をお心のどこかに置いて頂ければ、これ以上の喜びはありません。ありがとうございます。