愛を知るためのプロセス
この記事は「私の感情」についての記録です。
ある一連の体験について、感情とその整理にフォーカスして記録を残します。この記事はあくまで私の体験記であり、物事の是非や対処方法を押し付けるものでもありません。
ほぼ容赦ないセルフ人体実験と呼べるものの結果論ですので、軽い読み物であると捉えてください。私は私に試した方法でよい結果が出ましたが、どなたにも同じ結果が出るわけではありません。心は繊細なもので、誰一人同じ心を持っていないからこそ、これを読んでくださるあなたには、あなた自身の心にやさしく慎重に触れてほしいなと思っています。
最も苛烈な感情
嬉しいとか、楽しいとか、そういう感情がふわっと生まれてふわっと消えていくのに対して、怒りは一度生まれたが最後、そこに居続けるのだと早々に理解していたように思います。
どうして怒りが湧いてくるのか、わかりませんでした。怒りは理由があって自ら生み出すものではなく、勝手に湧いてくるものだったからです。収める方法もよく知らず、ただただ目の前が真っ赤になるほどの怒りだけが私にはありました。怒りは時に憎しみに姿を変え、相手に向かい、数え切れないほどの衝突を繰り返してきました。
怒りはわが身を削る
怒り続けることで私は疲弊していきました。とにかく疲れるのです。怒ることは体力も気力も消耗します。いつしか、「もう怒りたくない」という言葉が口からこぼれるようになっていました。
ひとりでいる分には怒りは湧いてきません。怒りは相手がいるから呼び起こされる感情でした。相手が、学校が、職場が…まわりのあらゆるものが私を攻撃してくるから、怒りを剣にして戦うしかないと思っていたのです。盾ではありません、剣です。攻撃は最大の防御、なぜならば敵がいなくならなければ攻撃は止まないからというのが当時の私の持論でした。
敵がいなければ私だってこんなに刺々しい人間でなかったのにとか、もっと穏やかでいられるのにとか、いっそ一人でいたいとか、いつもそういう思いでいっぱいでした。怒りを抱える自分をうんざりした気持ちで見つめ、自分で自分のことを嫌いだと思っていました。(今考えてみればいろいろなものがない交ぜになった被害者意識であることがわかるのですが、当時は何にもわからず、ただただ途方に暮れていました。)
もう怒りたくない私は、そもそも怒りが湧かなければいい、湧いてもコントロールすればいいのだと考え、アンガーマネジメントやら宗教の教えやらマインドフルネスやら、手が届く範囲であれこれ触ってみたものの、さっぱり響きませんでした。どれも表面的に感じてしまい、求める答えを得ることはできなかったのです。
今、当時手にした文献などから得られるものは沢山あると思います。しかしその時の私には、知識を得て実践するという余裕すらないほど、強い怒りと憎しみに支配され、疲弊していたのです。そしてこの怒りの正体がわからないまま対処しようとしていたために何も得ることができなかったのです。
没頭し、反芻をやめる
怒っていると疲れる。もう怒りたくない。
私が私の要望に応えるためにやっと見つけた方法は何かに没頭して怒りの反芻をやめることでした。この方法に辿り着いたのは知識を得てではなく、必要に迫られて、本能的にこうするしかないと感じてのことでした。怒りと憎しみは冷たい炎のように自身を蝕んでいて、もう本当に限界だったのだと思います。すぐに実行できて、速く効果が現れたのはこの方法だけでした。
怒りは苛烈であるが故に、記憶との結びつきがとても強いのです。思い出せば何度でも新鮮にその時湧いた怒りを再生することができてしまいます。再生している間は当時の感情に支配され、結局疲れるのです。反芻するということはずっと怒り続けることで、炎に焼かれ続けるということです。思い出しムカつきには何もいいことがありません。
読書、映画、スポーツ、手芸。記憶の反芻が止むように、今目の前にある楽しいことに集中し、没頭したのです。目の前のことに集中すれば、脳が忙しくて記憶の再生はできません。これは一種の瞑想なのではないかと思います。気がそれて反芻してしまっても自分を叱責せず、ただ意識を元に戻す。それを根気よく続けました。
放置
反芻をやめたからといって、怒りと憎しみは消えたりしません。
ではこれについてはどうしたかというと、放置です。触って何とかしてやろうとか、解消してやろうとか、そうして力んでわざわざ炎に焼かれながら怒りが発生した時の記憶を再生してこねくり回すことをやめたのです。これはけして匙を投げたわけではありません。前向きな意図をもってそうするのです。
この方法は偶然の発見だったのですが、反芻をやめた結果、気が付けば長い間放置状態にあった怒りと憎しみを久し振りに再生したところ、何だか以前と感覚が違うような気がしたのです。これは過去が変わったのではなく、私が変わったために起きた現象でした。反芻をやめて余裕ができ、様々な知識を取り入れ、「今」を目一杯楽しみ、自身の軸がようやくしっかりしてきたために、過去の捉え方が少し違ってきたのです。
あの時の私ではだめだったけれど、今の私なら大丈夫。
そう思えるようになるまで、そっとしておいたって良いのです。ゲームでだって、レベルを上げてからボスに挑むことができます。急いだっていいことはありません。躍起になっても仕方ないこと、何とかなるのに時間がかかることもあるのだと受け入れられたとき、私は随分楽になりました。無理に怒りをコントロールしようとすることを手放すことができたのです。
そうしてようやく、自分の怒りと対等に接することができるようになったのです。いつしか阿修羅の姿を取るようになった怒りは、いつでも私の影のようにそばにいますが、もう私を焼くことはありません。
随分シンプルな方法なのに、辿り着くのにとても時間がかかってしまいました。「怒ったって仕方ない」という言葉の意味をちゃんとわかるまで、私には長い道のりが必要だったのかもしれません。(こうして書いているけれど、本当はまだわかっていないこともきっと多いのです)
怒りで守っていたもの
様々な知識に触れ、経験を重ね、自分の心について解像度を上げていくうち、ようやく知ったことがあります。それは怒りは悲しみの二次感情であるということです。
怒るよりも憎むよりも辛いことがあることを無意識に知っていたのだと思います。それは悲しむことです。悲しみを受け入れることです。悲しみの受け皿は途方もなく広く、だからこそすべてが昇華されるのに途方もない時間がかかるのです。
悲しみには私の中のあらゆる元気を根こそぎ湿気らせて、何にもできなくしてしまうほどの力があります。抗うことができないほどの力です。私は悲しみが恐いのです。だから怒りを握りしめて、近付いてくるその淵を何とか遠ざけようとしていたのです。
悲しみを受け入れる
怒ることで悲しみを感じずにいようと、騙し騙しなんとかやってきたものの、やがて限界がやってきました。悲しみが膨れ上がりすぎて、押しとどめることができなくなってしまったのです。もう剣を握って戦うほどの力もなかったのです。
怒りの剣を収めたなら、もう潔く悲しみを受け入れるしかありません。他の感情ではごまかしようがないのです。ほとんど白旗を上げるような形で私は悲しみを迎え入れました。
悲しみはどろどろした水のようです。ゆっくり足元から近付いてきて、私の中に灯る全ての火を消し、どんどん沈んでゆくうちに、あらゆる光が遠のいてゆきました。悲しみの底には名前があります。「絶望」です。
水底に届いたもの
悲しみの底に横たわっていると、自分のことを大切にできなくなります。しなくなるのではありません。できなくなるのです。食事を取れず、風呂に入れず、眠ることもできなくなります。なにせずっと悲しくて泣いているのです。自分を癒す手段には手が伸びません。そして何もできない自分に生きる値打ちなどないのだと、さらに深く沈んでゆくのです。あの頃、私は腐った泥のようでした。
どうやって悲しみを脱したのか、実はよく覚えていません。
しかし朧げな記憶の中で確かに覚えているのは、周囲の人たちから贈られた愛があったことです。愛こそが悲しみを干上がらせたものの正体でした。愛だけが水底に届き、私を温め、立ち上がる力を与えてくれました。
「大丈夫だよ、そばにいるからね」
「あなたのことが大切だよ」
「愛しているよ!」
そうした言葉に乗せて、頭を撫でてくれる手に乗せて、抱きしめてくれる腕に乗せて、たくさんの愛を贈ってもらったのです。
こんなに素敵な人たちが、大好きな人たちが、愛を贈ってくれる。こんなに私を大切に思ってくれる人たちがいるのに、私には生きる値打ちがないだなんて、そんなのは真っ赤な嘘じゃないか!
私が私に対する愛を思い出した瞬間、心の中に火が灯ったのです。
人から愛してもらえるから価値があるのではありません。人から向けられる愛を感じることで、自分の中にある愛という絶対的な価値を思い出したのです。これがどんなに素晴らしい力を発揮したのか、うまく言い表すことができません。ですが、その時私の命を否定するすべてを吹き飛ばすだけの力があったことは確かです。
愛を受け取り、愛を思い出し、私は少しずつ自分を癒すことに力を注げるようになりました。そして悲しみは静かに干上がっていったのです。
愛を知るためのプロセス
怒りと悲しみを経由して、私は愛を知ることができました。
きっかけとなった出来事はあまり思い出したくもないし、今となっては感謝しているとも、いまの所はまだ言い難いです。それもそのうち変わってくるのかもしれません。
すべての人間関係には愛があるのだという言葉をよく理解することができずにいましたが、今は少しだけ、わかったような気がします。
私はこれからも、きっと何度も悲しみと出会います。その度に愛を思い出して立ち直ることを繰り返し、勁くなってゆくのでしょう。
そしてもし周りの大切な人たちが悲しみに沈んでしまった時には、私が自分の愛を届けることができるように、いつでも愛を育てていようと思うのです。
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