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自己完結のミライ
「『自己完結』が求められる未来になるんじゃない?」
と言ったのは夫である
今朝、わたしはニュース番組を見ていた
最寄りのバスターミナルのバス路線のひとつが、今年の3月末をもって廃止される、というニュースが流れた
そのバス路線を一度も利用したことがないので、
「寂しい」とか「感慨深い」とかそういう気持ちは沸き起こらなかった
しかし、その路線を毎日利用する方々もいらっしゃるのであろうと考えると「4月以降はどうするのだろうな」という老婆心丸出しの心配な気持ちにはなった
そのニュースを見ている最中、夫が起きてきた
「このバス会社のこの路線、3月末で廃止になるんだって」
とわたしが伝えると
「運転手不足でしょ? まぁ、仕方ないよね。利用者も主要路線ほどいるわけじゃないだろうし」
と夫が答えた
ここのところ毎月のように、札幌市内でのバスの減便のニュースを聞いているような気がする(減便に減便を重ねているだけで、毎月ではないのかもしれない)
その話から、
バス運賃を値上げの有無、
わたしたちが免許を返納するかしないかの30年後にはバスは存在するのかしないのか、
ライドシェアの可否、
ChatGPTの有用性(話している間にこのニュースになっていた)
などの話を経由して、
結論として出てきたのが冒頭の夫の言葉である
現在よりも人口が少なくなるので、
じぶんで足となる車(自動運転)を用意し、
生成AIで生活や暮らしの様々をサポートしてもらい、
じぶんの身の回りのことはできる限り自分で完結していくということが常識になる未来、
という推測らしい
(食に関してはのヒトの命が関わるので、国が農家さんや酪農家さんや漁師さんを保証したり確保する制度を作るのでは、との夫の推測)
実はわたしもここまで具体的ではなかったが、
似たようなことは考えていた
(わたしは自給自足(食の自己完結)が求められると推測していた)
今年の1月のはじめにこんな記事を書いた
この記事の後半部分に
「これから先
人口が減り、
物理的に人との関わりが少なくなり、
科学技術やAIの進歩で、
ヒトだからできることが
更に求められる時代になるのではないかと推測します
人それぞれに負荷がかかる時代になるからこそ、
自分でじぶんを守ったり、
じぶんを大切にするスキルが求められると
わたしは思うのです」
と書かれている
これにプラスして
もしも夫が推測するように
『自己完結』が求められる未来になるのならば、
ますますじぶんを守ったり、
じぶんを大切にする心理学のスキルが
求められるようになりそうだなと
わたしは思った次第である
一応、断りを入れておくが、
わたしも夫も有識者でもなんでもない、
ただの一般市民である
推測は一般市民の戯言であり、
ちょっとした議論遊びの域の話なので、
軽く受け流していただけると幸いである
でも、ちょっと心理学が気になるかもという方は、
こちらをおすすめして結びとする