利賀村で、半年ぶりに筆をとれた話丨すすめはる#4
こんにちは、姉のはるなです。今回は、なんやかんやずっと書道を続けてきた私が、書道から離れたこの半年のことと、利賀村で席上揮毫してきました、というはなしをしていきます。”利賀村”に”席上揮毫”なんやよくわからん単語がならんじょりますね。まずは軽くその説明から。
私と利賀村
”利賀村”は、富山県は南砺市にあるいわゆる限界集落といわれる地域。人口は、500人をきったそうです。30年後の地域の姿を現在進行形で見ることができる、まさに「課題先進地」だと私は捉えちょって、ここ2年ほど年に数回のペースで通っちょります。私にとって利賀村は、ゆるやかで心地よくつながる「通える村」です。
私と席上揮毫
んで、もうひとつの良く分からん単語、”席上揮毫”。
席上=大衆の前で、揮毫=(人に頼まれて)筆で文字や絵を書くことを指します。つまり、平たくいうと、みんなの前でライブ書道をする、っちゅうことです。
実は、私にとって席上揮毫は昔から身近なもの。それは、小学生のころから通う一風変わった書道教室で、2年に1回、教室近くの広々した芝生の公園でで生徒たちの大きな作品を飾り、展示期間中に生徒たちが席上揮毫するちゅうこれまた一風変わった展覧会をやっちょったから。
これは、13歳のときの私と先生。手にもった象形文字辞典と地面に敷かれた紙をみて、構成のイメージを膨らませているところ。このときにはもう3回程度は席上揮毫を経験しちょったんかな、なんか余裕がみえますね(笑)。
そんな席上揮毫、大学生になったいまは遠ざかっとるなあ、と。そこで、村に通う中で達成したいことの一つとして、「利賀村で席上揮毫をする」ということを宣言したんです。もうちょっと詳しい私の頭の中はこちらのマイチャレ宣言にごにょごにょ書いちょります。
半年、筆をとれんかった
宣言したはいいものの、2020年上半期、私はそもそも、日常で書道から離れちょった。半年は筆をとってなかった。というか、とれんかった。
それは就活を皮切りにした、20年ちょいの人生で初めての、「人生まよまよ期」やったから。頭の中のすべてを割いて、進路について考えんにゃ、と思って、書道は、当たり前のように、その初手として私の日常から消えた。
恥を捨てていろんな人に相談しまくれるようになって、「まよまよ期」の長いトンネルから抜けた。数えると、約半年。(このへんのお話はまた別のnoteで書いてみます。)
そんなまよまよ期から抜け始めたタイミングで、個人旅行として利賀村を訪問しました。温めてきたマイチャレを実行したいと思って道具は持参したものの、長いこと書くことから離れてしまったがために、筆をとるのに気が進まない気持ちがどーんと居座っちょった。腕がなまっちょんやないか、とか、こんなに離れておいて今更、とか。筆をとろうとしたときに、いちばんつっかかったのは、ちょっとまよまよしたくらいで書くことから離れるなんて弱いな自分、という気持ち。
それでも、村に来たこのタイミングで書かなければ、村から戻って普通の生活になって、もう一生筆をとらなくなりそうやとじんわり確信しちょったんです。それで、えいや、と利賀村にある苔むす小さな神社の境内にブルーシートを広げ、持参した道具を並べていった。準備しているうちに、身は入っていくもので、紙を見つめてどう書こうかと、考えもあれこれ広げちょった。きりっと寒かったのと、境内の高い木々の間からオレンジの夕日が見えて、きれいやったのをよく覚えちょる。
題材に選んだのは、蘇舜欽の「淮中晩泊犢頭」。10歳のときに、一度書いた題材です。これを選んだのは、他の題材が思い浮かばなかったからっていうのが、実際のところの理由。そうなったのって、この半年、これかっこええな、とか美しいな、とかそういう感覚を排除しちょって、いざなにか書け、となったときに持ち出せるものが引き出しになにもなかったからやと思う。
あとは、この作品を改めて見返したときに、たっぷり、のびのびしちょって、ええなあと思ったから。
技術的には、今のほうが成熟しちょるかもしれんけど、この作品を書いた時の私には、今の私に薄れとる大胆さとか、おおらかさというか、そういう心持ちがある気がして。それをどうにか吸収したかった。書いた当時は、私なりに追い込まれてピリピリしっちょったんやろうけど(笑)。
んで、そんなことを考えつつ、夕日が沈みかけたころに書き上げたのが、これ。
出来には全然満足しちょらんけど、マイチャレを達成したこと、そして、また書という自分のフィールドに戻れたことに、本当に満足しちょる。
もう一度書けたのは、利賀村という、私にとってなんの地縁も血縁も、利害関係もないけど、どーんと受け止めてくれる特別な場所があったから。
生きてれば、これまでまよまよしてない人も、どこかでまよまよするし、けっこうちゃんと落ち込んで、これまでできてたことができんことなる。そんなとき、通える村があれば、行って、遠くから普段の自分を見下ろすことができる。いつもの場所やったらできんことも、えいや、とできたりする。
通える村があることは、生きてくなかで目の当たりにする変化に、対応できるしなやかさをくれるんかもしれん。まよまよ期を抜けたとはいえ、社会人になれば、もっと大きくて長いまよまよがまた始まり得る。そんなときでも、筆を離さず、村にたまに行って、自分を見下ろして、しなやかに生きていきたい。