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発達特性と、反発する感情が同時に存在するということ
例えば、聴覚過敏がひどい自閉症のA君がいました。
その子はクラスでのレクリエーション時の騒がしさに耐えられなくなり、教室を出てしまいました。
ここで質問です。
彼の心情は、どんなものでしょうか。
こんな可能性
皆さんは、A君は聴覚過敏だから、騒がしい宴会や、レクリエーションが苦手だと思いますか?
そんな時、こう考えることは出来ますか?
聴覚過敏のA君は、うるさい音が苦手なだけであって、大きなパーティー自体はもしかしたら好きなのかもしれないということを。
本当は、A君はレクリエーションを参加したかったのではないか?
うるさい音が苦手なのは→特性
大きなパーティーは好き→人としての感情
その子の生きて来た人生の経験によって、特性と感情が背反する事があります。
聴覚過敏だから、静かな場所が好きなんだろうと思うのは、あまりに早計です。
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特別支援は
特性が全てを物語る業界です。特性は人それぞれ違うと言っておけば、全ての子どもを包括していると勘違いしている。
喋れない障害児の子は結局我慢しているのが現状かもしれません。
楽しさが聴覚過敏を勝る事もあります。聴覚過敏で大人数が苦手でも、それでもこの人達といたいという人としての感情があるのかもしれないし、それこそ大切にすべきものです。
でも相手の感情を測ることは、誰にだって分からない。分からないから、特別支援は目に見える行動特性で、共通の指針を作って確立して来た。
この子の特性はこうだけど、こういう感情も持っているんじゃないか?と疑ってみると、少し世界の色が変わるのかもしれない
ある例
放課後デイサービスでアルバイトしている時です。皆でボーリングゲームをする日がありました。僕が印象に残ったのは、そのデイ唯一の肢体不自由の子です。
こっから投げてねって言う線がテープで貼られていました。 筋肉の障害がない子達は普通に木のボールを投げていきます。肢体不自由の子の番が回ってくると、職員がこう言いました。「もっと前で投げて良いぞ!」と。
職員は親切のつもりだったんでしょうが、肢体不自由の子は皆と同じテープの場所で投げたがります。でも結局車椅子を前にやられて、前の方で投げることになりました。
僕はそれが印象に残っています。あの車椅子の子のもどかしい顔が今でも忘れられません。
障害特性で苦手なことはあります。
苦手=やりたくない
と思うのは違うと思います。
障害によって不可能でも、傷ついても、それでも同じフィールドで球を投げたいという感情を、僕は支援という名目で、否定したくはないのです。
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