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『歴史の証言』から〜74年目の"敗戦の日"に
8月15日、太平洋戦争の終戦記念日、終戦の日。正確に言うと前日に終わっていたのだろうから、昭和天皇がラジオで語り、日本国民の多くがその事実を知った日。──敗戦記念日ではないか、と言う人がいる。たしかに、戦争には勝ち負けがあるのだろうから、勝った日、負けた日、というのは聞くが、「終わった日」という呼称からは、どこか他人事のような、奇妙さを感じる。
あれから74年。
74年前、ぼくはまだ生まれていないし、ぼくの父母も生まれていない(まず父がその5年後に生まれる)。
その昭和天皇がラジオを通じて「終戦の詔書」を朗読した、「玉音放送」と呼ばれる音声、いまではインターネット上にたくさん置かれていて聴ける。
あらためてこれを聴くと、たしかに昭和天皇はそこで、「負けた」というふうには言っていない。戦争を「終わらせる」といった言い方をしている。また、戦争は日本とアジアの「安定」のために行ったのであって(これを高橋源一郎の翻訳では「平和」と訳している、現代風に言えばそうなるのだろう)、他国の主権を犯そうとか領土を奪おうといった動機で始めたのではない、と言い訳している。
冷房のきいた客席でそれを聴いている人の中には、「ふむふむ、なかなかいいことも言ってるじゃないか」と思われる方もいるかもしれないが、その戦争で家族、親戚、友人をたくさん殺された(しかも殺されたばかりである)当事者として聴くと、何を言ってんだ? と、もし自分ならなりそうである。
では実際に当時の人はどうだったのだろう。そういうことにかんしては、文学を見るのがいい。
『歴史の証言』というこのアンソロジーには、その戦争の"記録"がたくさん入っている。それぞれの話が、作者の実体験なのか、つくり話なのか、それはわからないが(どんなものでも書かれたものには全てそのような疑問は成り立つ)、名もなき市井の人びとを描き、その声を保存するのに、これら短編小説は見事な役割を果たしているとぼくは思う。
水上勉「リアカーを曳いて」は、まさにその1945年8月15日の出来事が書かれたもの。この作品の語り手は、疎開者を受け入れた農村の側の人で、疎開してきた友人の妻がチフスにかかってしまい、病院へ運びたいが、汽車には乗せられないと断られてしまったので、語り手が父の協力を得てリアカーで運ぶことになり、その道中を描いている。
正午をまわって、そろそろ一時になろうかとする時刻であった。
私たちの眼には、ひろびろと広がる海と、その海へずり落ちるように迫る右手の山が赤土をむきだしていた。
天皇の詔勅をきかなかった私は、終戦のことを知らなかった。
つまり、誰もがラジオに聞き入っているころは、加斗坂の石地蔵のよこで、麦めしを喰いながら、父の痔疾とリアカーの上の友人の細君の病勢を心配していたのである。そして、眼の前には、美しくひろがった若狭の海があっただけで、この時刻が、あとで、「歴史的な時間」となることを知らなかった。「日本のいちばん長い日」とか「歴史的な日」とかいうのは、観念というものであって、人は「歴史的な日」などを生きるものではない。人はいつも怨憎愛楽の人事の日々の、具体を生きる。
誰もが、国家や政治とは無関係に生きている、と言いたいのではない。むしろ無関係ではいられないが、それでも、「怨憎愛楽の人事の日々の、具体を生きる」と言っている。
さて、その細君の夫である友人は、疎開して3日目で兵隊にとられて行ってしまったとある。兵隊ではない普通の人が兵隊になるよう強要され(兵隊に「取られる」という言い方がありますね)、戦地に送られるなんて、どう考えても負けそうだと思いません? 国が威勢のいいことを言えば言うほど、アホか、ってなりません?
「リアカーを曳いて」の語り手は、
大本営の発表では嘘をつかれていても、うすうす敗け戦の様相はわかっていて、この上はもう一億総決起、まかりまちがえば、老若婦女子までが、アメリカ兵と刺しちがえて死なねばならない、というような、暗い気持ちでいたのである。
と言っている。もちろんこれは戦後になって言ってるのだが。
いわゆる戦後文学で描かれている「戦争」は、国内にいたさまざまな人びとの側からも書かれたが、兵隊となって戦地に送られた文学者が生き残り、帰って書かれたものにも魅力的なものがたくさんある。
富士正晴の「帝国軍隊に於ける学習・序」もそのひとつだ。
いまじっくり再読する時間がないので、以前ぼくの受け取った感じで書くと──兵隊としても戦時を生きる国民としてもたいへん出来の悪い自分なんかを兵隊にして第一線に送り込むわけ? 大日本帝国もかわいそう、いや、落ちたものだ? しかも入ってみたら軍隊、おいおい大丈夫か、どいつもこいつもアホらしいことばっかで、嫌ンなっちゃう。ケッタイなもんや。こりゃ日本は負けたな。あーあ。しかしオレは死ぬのかな。簡単には死なないような気がする。死なないぞ。──まぁそんな感じだったと思うが、こんな紹介のままでは富士さんに申し訳ないので、また今度ゆっくり書きます。
(つづく)
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