音の風景
「時間がかかる」ということ、「時間をかける」ということはどういうことだろう。
本をいかに速く読むか、ということを言う人が昔からいる。そういうことが書かれた本もしぶとく売られている。
ここで昔、というのはぼくが子供の頃の話で、20年、30年前のことだが、そういう話はいつからあったのかな。
朗読をしたことのある人ならわかると思うが、書いてあるものを、音にして"読む"と、黙読しているよりずっと時間がかかる。超特急で読めば、可笑しな感じになってしまうだろう。
「時間をかけない」こと、効率よくやることは、目の文化をベースにして成り立っているのではないか。
たとえばコンサートで、さぁ、始まるぞ! となっている時に、「ちまちまやってないではやく終わらせろよ」なんて言いたくなる人はコンサートには行かない方がいいだろう。音楽を聴く資格がないし、その場を共有する資格がない。
音の世界は、急ぐことができない。時間を早送りしたり巻き戻したりすることができないように。そのかわり、空気中に発せられたら、すぐに消えてしまうが…
音は、聴こうとしない限り、何となく聞こえている音はその人の耳に物質(響き)としては入りはするが、"聞き取る"前にどこかへ抜けていってしまう。
ゆっくり読まないと読んだことにならないような本がある。ぼくはそこに豊穣な音の風景を見る。
ほんとうは、あまり急いだら"見る"こともできないはずなのだ。──ということは"速く読む"をすすめることは、聞くな、見るな、とうことなのだろうか。
(つづく)
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