"話せる"こと、"書ける"こと
昨日はさりげなく書いたつもりだが、ぼくは記憶のある限りネイティブな吃音者で、そのことはこれまでもいくつかのエッセイに書いたし、吃音の人たちとの交流から小説を書いたりもした。
だから、ぼくが憧れるのは、"話せる"ことであり、"書ける"ことではない。──と、まぁ、はっきり言ってみたい気持ちが濃厚だ。
もっと突っ込んで言うと、より"話そう"とすることが、"書く"ことにつながったような気もしている。まさか自分が"話す"仕事をするようになるとは夢にも思わなかったが、しかし一切話さな