「個を優先した結果、チームに貢献する」という考え方
20230928 Fri
冒頭のタイトルを見て、この文章を読んでいただいたそこのあなたに問いたい。このタイトルに対して、あなたはどのように思いますか。
「たしかに」と共感いただける方、「自己中な考え方だ」と共感いただけなかった方。
どちらの意見も僕は正解だと思いますし、間違いはないと思っています。
なぜなら、自分自身がどちらの感情も感じたことがあり、自分のなかでの答えが年を追うごとに変化していったから。
ここからはこのタイトルについて、私の持論として話を進めていく。
昔(といっても4,5年前頃まで)の自分は、この考えに賛成・共感できなかった。なぜなら、「チームのために」を一番に考えてサッカーをプレーしてきたから。
チームのためにできることをする。
たとえ自分が出れなくても、チームのためにできることをする。
それがチームプレーであり、大切なことだと信じきっていた。
実際、プロのスポーツ選手がよくテレビや雑誌のインタビューなどで「チームのために」とか「みんなを信じて」などと発言することが多い。
だけど、4,5年前から、その考えに対して疑問を持つようになってきた。
それは、自分が試合に出場できない。
練習にいくら参加していても、試合だけくるうまい奴らが試合に出る。
自分はベンチに座っている。そしてチームも勝てない。
そんな経験をしたから。
社会人サッカーチームに所属し、最初の頃は試合に出てれていたものの、メンバーが強化されていき、元Jリーガーや学生時代に全国大会に出場しているなど華々しい経歴を持つ選手たちがやってきたことで、自分は出場できなくなってしまった。
何が正しいのかがわからなくなってきたその時感じたこと。
極端だが、結局は個人の能力が優先されるということ。
良いやつとか練習を頑張っているとか、そんなことではない。
うまいやつ、能力が高いやつが試合に出て、実力のないものは試合に出れない。至ってシンプルなこと。ただそれだけ。
もちろんこれを言うと、そんなことはない。
スポーツマンシップがない。
そういう声も上がることは分かっている。
だけど、勝負の世界で勝つか負けるかがかかったときに、まず第一に考えるべきは個人の能力であり、圧倒的な実力があるものが試合に出場する権利を獲得する。
もちろん実力だけが全てでないことは分かっている。
だけど、目の前の試合や練習で圧倒的な個の力を前に、自分は圧倒されてしまった。
今までが、大きく実力が変わらないメンバーとサッカーをしてきたから、試合に出れなければ悔しくて、出てるやつよりも頑張ろうと思えて練習に励んでいたけど、そこで経験したことはそれ以上のことで、自分にとっては大きな衝撃をうける経験であった。
当時は不貞腐れていた部分もあったけど、今考えれば、単に個人の実力が足りなかっただけなんだと受け入れることができる。
サッカーと向き合い直すきっかけになったし、何よりプロのレベルを体感できたことが自分の人生にとって、本当に大きかった。
今までは、なんとなくでもサッカーを続けていればもしかしたらプロになれるんじゃないかという淡い期待も少なからずあったけれど、絶対にそんなもんじゃなれない、自分はサッカーが下手だという事実をまっすぐなまでに突きつけられた。
尊敬する先輩から言われた言葉を思い出す。
元プロの人がチームMTGで話していた言葉。
色んな意見はあるが、まず個人として考えるべきは個の実力を高めることであり、個としての結果を求めて練習に励み、プレーをすること。
この考えはきっと、ビジネスでも同じなんだと思う。
結果を出しているやつらは、もちろん運もあるかもしれないけど、ベースとしての高い能力がきちんと備わっている。
そのベースがないのに、チームプレーだのみんなで勝とうなどいっているうちは、きっと上にはいけない。
それが俺の経験からの学びだ。
プロフェッショナルな人材とは、そのことをきちんと理解している方々なのだろう。