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すべて分かり合うことはできなくても|扁桃摘出手術日記③

入院五日目(術後三日目)

何度か目が覚めたものの、起床時間の6時まで眠れた。相変わらず飲み込む時が痛い。痛みレベルは昨日と変わらず、扁桃炎にかかった時くらい。気分が停滞したままだったので、食事までラランドの動画を観て過ごした。朝食はほうれん草と玉ねぎの煮物、かぼちゃサラダ、おかゆ、味噌汁。食べる時舌の痺れも酷くてあまり口が開けられず半分残した。虚無っぽい気持ちになってしまい、カーテンの破れてる一点を見て過ごす(暗い)。

かぼちゃサラダ、あまり食べられなかった

そういえば入院日から全く便が出てない。看護婦さんにも聞かれたが、下剤を飲むと気持ち悪くなってしまうので様子見にしてもらっている。時間になったので診察へ。先生には舌の痺れは手術時の器具の影響だと思うから様子を見ようと言われた。吸引機の前に並んでいた時、少し他の患者さんとコミュニケーション。やや気分が上向きになってきたので自販機で水を買ったり、洗面を済ませたりした。
看護婦さんが体調チェックに来てくれた時、「今日から入浴可能みたいなんですけど、入っていいですか?」と相談すると、なんと朝10時に予約をとってもらえた。入浴時間は20分しかないので急ぎながらも4回くらい頭洗った。五日ぶりの風呂で、「風呂は命の洗濯よ」とミサトさんが言っていた意味がわかった。相変わらず口には違和感しかないが、風呂上がりのゴロゴロは至福。
少し寝てからまたお昼ご飯。再びハンバーグの概念と、ミネストローネ風冷奴、ナスのバター焼きなどが登場。お腹空いてないのに美味しくて完食しちゃった。

お粥が全粥に進化

昼過ぎ、なんか無性に米津玄師を聴きたくて寝転びながら好きな曲を流す。14時、面会は一日一組限定なので夫と母が一緒に来てくれた。周りの人もいるので、面会できるベンチで話すことに。このベンチが日差しを直に受けてめちゃくちゃ暑く、外はまだ夏なのだと思い知らされた。声は出しずらいが、そもそもこの二人の共通点が私なので話さなくてはと思い、最初は症状や入院生活について話した。その後、父が今日車で病院に来ていることを知り、当初夫に私が父や兄との接触を控えたいと思っている旨を伝えてもらう予定だったが、そんなタイミングはないかもと察する。
思い切って自ら母に「今の父は私に向かって暴言を吐いたり、いきなり家に来たりするからずっと苦手だった」と伝えてみた。すると、そうだよねとわかってくれた様子だったが「縁を切ることはできないから、大人としての付き合いは続けて欲しい。暴言吐くのはいけないけど、可愛がってるだけなのよ。」と言われた。
この辺もなんとなくそう言われるのは織り込み済みだったから、「今まで面倒をみてくれて感謝している。でも人として合わないから、半年に一度食事に行く程度の距離感にしたい」と言った。
たまに夫をチラ見して、助け船を出してもらおうとする。本当はもう家族のことと向き合うのが辛く、全面的に彼に助けを求めていた。第三者に割って入ってもらいたかったし、それは夫でなければならなかった。でもきっと誰であれ割って入るのは難しいことで、彼も何かを口にする様子ではなかった。
だから気付いたら自分で伝えていた。母には入院でナイーブになっていると捉えられたが、一年くらい前から思っていて伝えるのを待っており今しかないと思ったことを、はっきり言った。
最後に母の前だったけど、夫の手を握った。彼は「待ってるから帰っておいで。僕も寂しいから。」と言ってメッセージカードをくれた。LINEだと全然寂しくなさそうだったのに、ずるい。会って伝えないとわからないことばかりだ。
その後は心を整理するために、ひたすら日記を書いた。それでもモヤモヤは消えず、いつまでも既読にならないLINEを見て、夫を傷つけたのではないか、彼は無事に帰れたのだろうかと今更心配になった。
とりあえず不安になった時観ようと思っていた映画『ドライブ・マイ・カー』を観て、静かな気持ちになろうとした。もう4回は見返してるけど、小説と同じく高槻の台詞が心に残った。

どれだけ理解し合っているはずの相手であれ、どれだけ愛している相手であれ、他人の心をそっくり覗き込むなんて、それはできない相談です。そんなことを求めても、自分がつらくなるだけです。
しかしそれが自分自身の心であれば、努力さえすれば、努力しただけしっかり覗き込むことはできるはずです。
ですから結局のところ僕らがやらなくちゃならないのは、自分の心と上手に正直に折り合いをつけていくことじゃないでしょうか。
本当に他人を見たいと望むなら、自分自身を深くまっすぐ見つめるしかないんです。

映画『ドライブ・マイ・カー』より

途中舌の痺れと闘いながらの食事で中断したり、終盤うとうとしながら観終えたら、ちょうど夫からLINEが来ていた。メッセージのほかに彼が今夜作ったという鮭とほうれん草のクリーム煮の写真が添えられていた。それは、私が病院食の中で一番美味しいと彼に伝えていた料理だった。涙がポロポロ止まらなくなった。他者と完全に分かり合うことはできなくても、生活は繋がっていて一人じゃないのかもしれない、と思えた。

入院六日目(術後四日目)

寝ている最中、ぬれマスクをどこかほっぽってきまって不安で何度も目が覚める。口の中が痛く、飲み込むのが辛い。痛みが大きく増したわけではないかもしれないけど、耳の方まで痛い感じがする。ピークは術後三〜四日と聞いていたけど本当かもしれない。虚無になりながら食事。お粥、味噌汁、おでんの概念。概念シリーズがいつも美味しい。しかし痛みと闘いながらの食事はきつい。

半分くらいしか食べれなかった

食後、歯磨きをしてから診察。初めてましての先生。神経の痛みは、やはり喉と手術の影響のようだ。そして今日初めて口が裂けていることに言及してもらい(誰にも言われないから自然治癒しようとしてた)、塗り薬を処方してもらうことに。口内を確認してもらうと、経過は順調なようで思わず「良かった〜」と言ってしまったら先生も一緒に喜んでくれた。
ちょっと元気が出たので、吸引してから売店の物色。久々のジャンクフードを興味深く観察。サーティーワンのアイスだけ気になったが、全くお腹が空かないので早々に退散。ベッドで他の人の手術レポを読み漁る。やはり術後3〜10日後がきついみたいだ。身体を休めていると、看護婦さんが薬を渡しにきてくれた。錠剤と塗り薬の追加。もし夜まで便が出なかったら下剤も追加しようという話になった。薬でボーっとしながらLINEを返したりnoteで日記を書く。体調も良くないから暫くすると眠くなり、お昼まで寝た。何回寝て起きても口内に違和感があるの、地獄すぎる。
お昼ご飯は焼きサバ、白菜、サトイモとそぼろの煮物、ぶどうゼリー。昼ご飯が毎度美味しすぎて、美味しさだけで食べてるみたいなところある。痛みがありながらもまさかの完食。看護婦さんも痛みの調子を気にかけてくれてありがたい。

久々の焼き魚に歓喜

外を見るとジブリ映画みたいな雲が浮かんでいて、現実世界に戻れずにいる千尋みたいな気持ちになった。食後はゆっくりしてから歯磨き、ドライシャンプー、身体拭きをし、向坂くじらさんの『いなくなくならなくならないで』を読む。たまに窓の外を眺めたりしながら、夕方に読了。全てを理解しようとすると難解な話ではあるけど、時子の朝日に対する複雑な思いや、姉が両親に放った言葉には身に覚えがあった。
本を読んでいる時、いつも担当してくれている先生のうちの一人が様子を見に来てくれた。昼に薬が増えてから体調がかなり良くなったことを伝えると「無理しないほうがいいってことだね」と満面の笑みで言ってくれた。このくらいの痛みなら大丈夫と思っていたのが今朝崩壊したけど、ちゃんと看護婦さんや先生に報告して良かったと思えた。
下剤も怖かったけど、今夜一番少ない量を飲ませてもらうことにした。薬の力を借りながら少しずつ改善に向かいたい。

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