おじいちゃんに届きますように…
皆様こんばんは。
先週月曜日にあたる、5月8日は亡き祖父の命日でもありました。
亡くなったのが1998年ですから、今から25年前になります。
あっという間に月日は過ぎ去っていきますね。
私が小学校に入学して1ヶ月後に天国へと旅立ちました。
まだ70歳という若い年齢だったと思います。
第2回目は亡き祖父のことについて、エッセイにしたためたいと思います。
思い出の写真と共に載せていきながら、文章を書いていきます。
私が生まれた時は当然のことながら、亡き祖父にたくさん抱っこしてもらいました。
亡き祖母も抱っこしてくれたし、母親にも抱っこしてくれたし、親戚にたくさん可愛がってもらいました。
今はその写真は無いのですが、若い頃に亡き祖父に抱っこされている赤ちゃんの私が写っている写真を見ていた記憶があります。
お食い初めの時も亡き祖父母一緒に私のことを可愛がっていました。
今となれば泣けてきます…。
私は中々発語がなく、人目を気にして目深に帽子を被ったり、癇癪に限らずパニックも日常茶飯事でした。
ある日、3歳児検診でこう言われました。
あなたのお子さんには障害がある
そう言われた母親はかなりショックを受けていました。
母親はお酒は飲まない、タバコは吸わない、身体に悪いことは何一つしていない。
母親がショックを受けているところで、保健所のスタッフさんが声を掛けてくれました。
あなたのせいではありません
そうやってなだめられ、母親は自分のせいではないんだ…と思い、号泣していたようです。
亡き祖父は母親にとっては良き理解者でした。
亡き祖父は私のことを気にかけてくれました。
18歳までに、身の回りのことが出来るようになれば良い
ただし、警察沙汰になるようなことは絶対にするな
2つの言葉をかけてくださいました。
私は31歳になった今、2つの亡き祖父との約束をきちんと守っています。
中高生時代から20歳までは、かなり酷い反抗期を送っていて、苦しみながらもがく私の姿を天国から亡き祖父は見ていただろう。
荒れ狂った反抗期ではあったものの、天国から亡き祖父は応援していた。
幼少期はよく亡き祖父母に色々な場所に連れていってくれました。
遊園地や市内のデパートなど、キリが無いです。
4歳の時に北海道旅行へ行ってくれたのは、一生の財産となりました。
たくさん可愛がってくれたり、おんぶもしてもらいました。
ただ、心残りがあります…。
それは亡き祖父の告別式に出られなかったこと。
葬儀会場で私がパニックを起こしたので、父親に抱っこされ、母親に思いっ切りバシン!と平手打ちされました。
その瞬間、亡き長兄の叔父はしっかりと見ていたようで、母親が「うちの春香障害者なんだよね」と説明すると、亡き長兄の叔父は「あぁそうか」と頷き、発達障害についてわざわざ調べてくださいました。
亡き祖母は興奮気味に電話越しで言いました。
お前が父さんのことを殺した
春香なんか連れて来やがって
母親は憔悴状態になり、一年間立ち直れなかったようです。
風呂場でひとり寂しく泣いていたようでした。
私は涙もろくて繊細な面はあるのに母親は人前で涙はけして見せる面ではなかった。
25年経ちましたが、書ける範囲内で亡き祖父の思いを書かせて頂きました。
少しでも伝わっていたら幸いです。
あまり思い出は無いのですが、思いのままに書いてみました。
亡き祖父に届いているといいなぁ。
長々と書きましたが、最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
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