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3.11を忘れない。

皆様おはようございます。
今日で『東日本大震災』から、12年が経ちました。
早いもので干支一回り分ぐらいしました。
月日ってあっという間に過ぎ去っていくのですね。
月日が経つにつれて、あの東日本大震災の記憶が蘇ってきます。
私は当時19歳でした。
高校を卒業して、社会人になってまだ間もない時だった気がします。
19年間生きてきて一番つらい記憶になりました。

書ける範囲内で、当時の記憶を書いていきたいと思います。

2011年3月11日 14時46分
この時間にあの震災で全ては変わりました。
私が岩手に住んでいた時でした。
自力で立つことすらできないくらいの大きな地震。
助けて〜と言いながら母親にしがみつく。
その前は、本当のパニックとショックが重なってしまい、石のように固まってしまいました。
春香行くよ!」と言われても固まっていました。
電気屋さんで、新しい音楽プレーヤーを買おうとしたら、グラグラ…と強い地震が来たのです。

外に出てみると、隣のイオンモールのデパートでバスやタクシーを待つお客様がたくさんいました。
もちろん、高校生くらいの学生さんまで。
私が「HEY タクシー!」と手を挙げたところ、タクシーは止まってくれて、時間はかかったものの、無事に自宅まで帰宅することができました。

帰ってみたらライフラインは全て使えません。

ガス、電気、水道
全て使えないので、携帯電話のワンセグまたはラジオをつけて、震災の情報を得ていました。
大きな余震が数え切れないくらい続いたり、歩いている方々が不安そうな顔でいたこと、電気が消えているので充分な睡眠が取れなかった。
余震があるたびに玄関に逃げていました。
まだ19年しか生きていないのに死ぬわけにはいかないと思っていました。
不安で怖くて仕方がなかったです。

私は、ワンセグから津波の映像を見ていました。
見て思ったのが「地震って怖いんだなぁ」という恐怖心でした。
車、家屋も津波で流されたり…生と死を彷徨っている気持ちにもなりました。
当然のことながらショックとパニックが重なってしまうくらいでした。

たくさんの方々が犠牲者になりました。
たくさんの方々が未だに行方不明のままです。

私は、東日本大震災当時19歳でしたが、
今は31歳まで生きることができました。
震災当時を振り返ってみると、あの時は生きることに必死だったなぁと思いました。
もう12年が経つのですね。これ以上、風化してはならない災害だと思います。

最後に、亡くなられた犠牲者の方々のご冥福をお祈りします。
一日も早い復興が進んで、笑顔が戻りますように。
一日一日を大切に生きていきましょう。

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