【私の本棚#1】傲慢と善良
これまで自己研鑽系の本、仕事関係の本を読むことが多かったが、久々に恋愛小説を読んだ。そしてかなり突き刺さった。本書のストリー魅了されたのはもとより、きっと誰もが持っている「傲慢」と「善良」について心理的な描写に衝撃を受けた。そこで本書を読んでこれまでの人生の振り返り感じたことを書き残すことにした。なお、純粋に本書の感想を知りたい方は他を参照されたい。
自分で言うのもなんだが、私は大学生になるまで両親の喜ぶような、親戚からも褒められるような進路を選んでいい子(「善良」)に育ってきたと思う。言い換えれば「自分の意思」をあまり持っていなかった。一方、私の兄は逆で、自分の進みたい道に行こうとよく両親と言い合いになりつつ、回り道もしつつも力強く生きてきた。本書の主人公にも姉がいて、姉は両親と言い合いになりつつも早く故郷から脱出したと語られていた点は親近感を持って読み進めた。
「傲慢」が見えるときもこれまでもあっただろうが、私が認識する限り、それは、大学院を選択するときに現れた。当時薬学部の学生だったが、同級生のほとんどがそのまま大学院に進学する中で、私は学部を変える選択をした。薬剤師になる姿や薬学部の大学院にいくことが「ピンとこなかった」のだ。ただ別の何をしたいと言うわけでもなかったが、手探りで「自分の意思のかけら」を集めた。本を読んだり、他学部の先輩の話を聞いてみたり。そうしているうちに発展途上国でフィールドワーク調査をしてみたいと感じたのだ。自分にしかできない経験を積み、社会人になる前に視野を広げたかった。私を育ててきた両親も驚き、初めは反対もしていたが、いろんな経験を積んでほしいと快く進学を許可してくれた。「自分の意思」を持てたと実感できる選択だった。発展途上国でのフィールドワークの経験は、私の引っ込み思案だった性格や考え方も少しずつ変えていった。困っていても始まらない自分から動くこと、話すのが苦手でも相手の話を聞くことは得意だと気づいたこと、私自身がリーダーシップなどあるわけではないが、周りを巻き込む力があること。いまの私は客観的にみて「傲慢」と「善良」どのくらいの割合だろうか。
本書の解説にこんな文章があった。
何を選んだとしても社会とのつながりを考えさせられるもどかしさの中で、いまの私は「自分の意思」をどのくらい持てているだろうか。その割合を拡張させていく方法を探しているだろうか。
そして「自分の意思」で選択したときに支えてくれる家族にどれだけ感謝できているだろうか。