をかしとあはれの和歌草子#5「引きこもる紫式部」
いやいやでも時間は流れる
2023年の今年も半分が過ぎようとしている。早すぎると思うくらいに時間がながれていく。新入学や新入社、そして新しく始めたことなど少しずつその環境に慣れ始めたころではないだろうか。それとも、やっぱり新しい暮らしに慣れることはこの先ない、と思うほどに憂鬱な日々を送っているだろうか。
納得のできない場所への通学や通勤、新しいことをなんとか頑張ってやっていこう、と思うけれど、心が動かなくなり休みがちになっている人もいるかもしれない。なぜ心が動かなくなっているのか、という原因をみつけることは、現状をそして心を回復することに繋がっていく作業となる。
「をかしとあはれの和歌草子 #4」では、平安時代に活躍した『源氏物語』の作者である「紫式部」がいやいやながら初出勤をしたことについて触れた。今回は、その続きのいやいや初出勤のその後について記していこうと思う。
忙しい時期の初出勤はお気の毒
紫式部が一条天皇の中宮彰子に仕えるために初出仕したのは、今から1018年前の寛弘2年(1005年)の年末のこととされている。ちょうど新年正月に向けての準備をする忙しいころだ。勝手が分からないのにこの忙しい時期に初めて出仕をした紫式部をお気の毒に思ってしまう。私などは、多忙極まりない時に新人相手に様々な仕事を教えるのは業務が滞りがちになり、面倒だと感じてしまう。行事ごとがなく、のんびりしている時だと穏やかに新人さんに接することができるのに、とも思うのだ。そんな思いが態度などに出てしまい、冷たく意地悪な人に思われてしまったりする。
紫式部もわたしのような先輩に出会ってしまったのだろうか。彼女は初出勤から僅かの数日間は頑張って出仕したけれど、正月早々に自宅に戻ってしまう。そう、自分都合で仕事を休んだのだ。
心が氷になった紫式部、その原因
彼女が家に逃げ帰った理由は、次の通りである。紫式部は自身が『源氏物語』の作者という能力をかわれて、中宮彰子の女房にと声掛けされたことを察していた。このことから、同僚となる女房たちも『源氏物語』を読んでくれていて、それなりに温かく、敬うような迎え方をしてもらえる、という期待を紫式部は抱いていたのかもしれない。ところが、彼女に話しかけた女房は、ほとんどいなかったのだ。同僚女房たちの紫式部への態度はとても冷たかった。これに耐えきれず、家に帰ってしまった、という顛末だ。
紫式部としては、思いあがっていたつもりはないと思っていたようだが、如何なものだろう。女房嫌いであったこと、身の不遇により女房となり落ちぶれた自分だと思い込んでしまったこと、から自身は他の女房とは違うのだ、と少し傲慢な態度を知らず知らずのうちにとっていたのではないだろうか。
紫式部なりの努力
自宅に戻った紫式部は、ほんの少しだけ話をした同僚に「どうして皆そんなに冷たいの?どうか仲良くしてほしい」といった内容の手紙(和歌)を送る。彼女なりの努力をした、といってもいいのではないだろうか。
この返事(返歌)は、残念ながら紫式部の思うようなものではなかった。「もう少し温かく扱っ」てほしいと願う彼女にとって、恐ろしく冷たく、振り払うような内容が送られてきたのだ。
紫式部にとっては一生懸命に頑張って送った手紙(和歌)だったが、「私たち女房はあなたにすることは何もない。彰子様に頼ればいい。」と、氷のように冷たい返事(返歌)にどうすることもできず、職場に戻れなくなってしまった。この時、紫式部は新参女房で中宮彰子に頼る術を持ち合わせていなかった。そして、このまま自宅に引きこもってしまったのである。
やることなすこと裏目に出てしまっている、紫式部だ。上手くいかない時は、すべてが上手くいかないものだと身につまされてしまう。
献上歌に期待を込める
さて、冷たい同僚からの返歌が届いた数日後、中宮彰子より自宅に使いの者が訪れる。「春の歌を詠んで献上せよ」とのことである。これは彰子に頼れるかも、と早速に献上歌を詠んだ。
先の同僚女房に送った手紙(和歌)に「結びし水」呼ばわりされた返歌と同じ言葉である「結ぼほれたる」を使って中宮彰子に訴える内容を詠んだ。これには紫式部なりの理由があり、皆の前でこの和歌が披露されれば、何かの沙汰があると期待したからだった。しかし、その期待の献上歌も空しく何もないまま日が過ぎていった。
そして、紫式部は引きこもりを続けることにした。なぜ彼女は引きこもり生活を続けたのだろうか。それは、同僚女房たちが原因である職場での苦しみを「引きこもり」で訴えてやりたかったのでは、とされている。
続く引きこもり生活
ところが、しかし、である。なんと紫式部の耳には、女房たちからの彼女を責める声が漏れ伝わってきたのだ。どうやら、長い長い欠勤は態度が大きく、新米女房なのに上臈女房かのような振る舞いをしている、と判断されてしまったらしい。
なんともお気の毒な紫式部。けれど、仕事もせずにいったいこれからどうするのだろう。
自分の想いとは違った同僚たちの判断に傷付き、憤慨せずにはいられなかった彼女は、この気持ちを和歌に詠む。
自身の心の中を、紙または、紙を綴じてノートのように仕立てたものにつらつらと書きつけたのだ。これは、わたしたちが日記に心のもやもやを書きつけることと同じである。
しかしながら、被害者意識満載の和歌だと思う。紫式部が意固地になり、周りを敵視してすっぽりと自分の殻に閉じこもっている様子だと想像できる。さらにまた引きこもりは続いた。これは同年の5月まで続くこととなる。
怨みを持って職場復帰
けれど現実問題として、いつまでもかたくなに自分を守り、引きこもり生活をそうそう続けてもいられないこと、そして、そのうちに親切な言葉をかけてくれる女房も現れ始めたこと、これらにより、紫式部は職場への復帰をやっと決める。しかし。この復帰は、同僚女房たちに心を開いたわけではなかった。これら女房、周囲を、自分自身の人生を、初出仕の時よりもさらに怨みながらの宮仕え再開となる。
怨みながらなんて、なんとも言えないくらい怖い紫式部。すべてが他人のせいだと思い込んでしまっている様子だ。
『源氏物語』の作者という自負と、しなやかな心
紫式部は残念なことに、せっかくの確かな素養を持ち合わせているのに、現在のところまったくそれが生かされていない。自分の役割が何なのか、彰子に仕える女房として何をしなくてはいけないのか、それが彼女の素養が存分に発揮される役目であることに思い至ってはいない。
また、仕事とは独りよがりではなく、自分の持ち合わせている良いところ(能力)を使い、誰かの何かの役に立つ、為になる行いをすること、他人に喜んでいただけること、その実現に向けて努力することである。
今のところ紫式部は、自分だけの偏った小さな世界にしか目がゆかず、他を受け入れるしなやかな心と広い視野に欠ける未熟な女房だといえるだろう。そして、自分の殻に閉じこもることと、自分を大切にする(自分の好きなことを自覚する)ことは、似ているようで全然ちがうことなのだ、とわたしたちに気付かせてくれる。
彼女自身も自負していたとおり『源氏物語』の作者という能力もかわれて、中宮彰子の女房になったのだ。好きなこと、得意なことを自覚して自分の心棒として持つことは、自立へと繋がり、かならず身を助けてくれる。だから紫式部には、得意なことを、自分を、もっと信じてほしい。
怨みを持って職場復帰した紫式部は、今後どのように変わり、女房として成長し、自立していくのかを楽しみに『紫式部日記』を読み解いていきたい。
【参考書籍】
1.『紫式部ひとり語り』(山本淳子/角川文庫)
2.『紫式部日記』(紫式部、山本淳子=訳注/角川文庫)
3.『ビギナーズクラシックス日本の古典 紫式部日記』(紫式部、山本淳子=編/角川文庫)