301.歌手じゃないのに声は商売道具だと気づいたこと
少し前から、喉が痛くて咳が出ていました。
今はだいぶ咳は収まってきましたが、今度は声が出ません。
ここまで出ないのは初めてでした。
かすれた声も出ない。
発しようとしている音が自分から出ない。
めちゃくちゃ違和感でした。
どれぐらい張り上げたら届くのか、どんな音を出そうとすれば正しく伝わるのか、人は思っているよりもずっと繊細に、声を操っているのかもしれません。
今日もまだ、うまく声が出ない。
伝えることが仕事である以上、声は必須
経営者は伝えることが仕事だよと言われてきました。
物書きである僕は元々伝える側の人間だったので、その媒体が文字や文章表現からビジネスに変わっただけなので、別段不思議ではありませんでした。
何かしらの事業を経営していく人間として、世の中に良い影響を与えようという思いは誰もが抱いているでしょう。
目の前の人を幸せにする。
そのために仕事は存在するのですから。
ただ、声が出せないとなると意外と支障が多いものです。
目の前にいる人の心を動かしたい。
僕はその思いをずっと持っています。
そうすると、話せないというのは致命的ですよね。
こんなにも当たり前のことに、初めて気が付きました。
声は、僕の商売道具の一つなのです。
プロ野球選手のバットのような、サッカー選手のシューズのような、絵描きの筆のような、その仕事には欠かせないもの。
歌手でもないのに、声は商売道具でした。
繊細さとか、勢いとか、結局は想い次第
普通に話そうとすると、声になりません。
声を張り上げようとすると、しゃがれた音が必要以上に大きく響く。
調整が難しい上に、長い文章が話せない。
ただの喉の不調なのですが、声や会話って無意識のうちに繊細にコントロールしていることが多いと気づきました。
思いっきり伝えることもできます。
その必死さは多分伝わる。
結局、うまく話せることは大事かもしれませんが、人と話したあとに残る印象はその人が発していた想いの部分だと思っています。
いい商売道具があれば、商売道具が完璧なら結果が出るわけじゃありませんよね。
声が戻ったからといって、伝わりやすくはなるでしょうが結局は想いが大事で、いくらスムーズに話しても伝える気のない人間の話なんて聞いていれば一発でわかってしまうのです。
声の不調でいろいろ気づきがありました。
伝えたい、何としても届けたい、その想いが何より大事。
何事も目的を見失うと迷走してしまいます。
想いをより大事にしようと感じた出来事でした。
……とはいっても、早く治りますように。