384.そういや「何してるの?」って昔からよく言われていた
パラレルワーカー、なんて文言をプロフィールに入れています。
営業とか物書きとか起業に向けての準備とか、結局お前何やってんの?っていう内容な気もします。
今は主にプロジェクトベースで動いていて、営業やコンサル、ブランディング、チームビルディングなど、やっていることは過去の記事にも散りばめられていますが、大枠こんなところ。
友達や新しく出会った人からはよく、何してるの?と聞かれることがあります。
なんだかうまく伝わらないときもありますが、どうやったらうまく自分のやっていることを正確に、クリティカルに伝わるかなぁと日々奮闘中です。
「何してるの?」
よく考えれば、小学生の時から社会人になるまでそれぞれのフェーズで、何度も何度も聞かれていたような気がしました。
伝えても、伝わらなかったり、なんでそんなことしてるのか理解されなかったり、いろいろなことがありました。
純粋な疑問には誠意を持って頑張って伝わるように僕も努力しますが、中には同じ疑問でも懐疑的な人もいます。
わからないのは仕方ありません。
ただ知らない、想像がつかないというのを盾に否定的なスタンスを取るのは愚かだと思っています。
頭が良いとか悪いとかではなく、単なる勉強不足なだけなのですから。
毎週日曜は10時間勉強をしていた小学六年生
塾は火木土日、日曜は10時間、もちろん他の時間に自主学習もする……今の勤務時間並みに勉強していたかもしれません。
小学生六年生の頃の話です。
そんなに何を勉強しているの?
土日の時間、野球を一旦横に置いてまで何をしているの?
人生唯一勉強がめちゃくちゃ楽しくて、今じゃもうできないほど取り組んでいたあの頃。
同志社中学校に合格した後、友達や小学校の先生からもよく言われていました。
「いつ勉強してたの?」
その発言自体が、結果の原因を物語っていました。
中高は野球の自主練習に打ち込む
中学は誰もやっていなかった朝練を一人で勝手に始めました。
急に右打ちから左打ちに変えたのは、中学二年生の頃。
小説を書き始めたのもこの時期でした。
ケータイ小説を書いている、左打者に転向したばかりの朝練を一人でしている中学二年生。
高校では、練習後誰よりも早く帰って素振りをしていました。
みんなと帰る必要がないと思っていて、早くバット振ればいいのにと感じていた高校球児の頃。
引退してからも大学野球に向けて練習を続ける。
周りでは誰もやっていなかったことをずーっとやっていました。
何をしているのか、他人からはよくわからなかった日々を過ごしていたかもしれません。
単に一人が好きだったのも影響していたのでしょう。
大学でのエピソードは数え切れないほど
大学では、一回生の頃から体育会以外の人と生活リズムが違いすぎて、そもそも野球部以外の友達ができませんでした。
二回生の頃は、とある先輩に教えてもらったバッティング練習の方法が野球人生で最も自分に合致した内容で、自主練習の時間はひたすらにとある工夫をしたティーバッティングをやっていました。
「何その練習方法?」
教えてくれた先輩以外の部員からは珍しがられてよく聞かれました。
効果があるかどうかなんてわからないけれど、ありそうだったから続けました。
結果的に、めちゃくちゃ効果のあった方法で、僕がホームランを打つ感覚を初めて手にしたのはこの練習があったからでした。
ちなみに学部は文化情報学部という、認知科学と統計学を掛け合わせた文理融合の学部で勉強していました。
内容はとても面白く、一応学年でトップ10%の成績だったほどには楽しんで学んでいました。
文化情報学部の人に聞いてはいけない一番の質問は、「何をやっているの?」です。
学部生でもうまく答えられないため、聞いてはいけない質問だと、文化情報学部生の間では話題だったと思います。
うまく答えられないけれど、やっていることは確かで、役に立って、面白い。
その経験ができたのは、今思うとだいぶ大きな感覚を養っていたようにも感じます。
「文化を情報で科学する」そんな学部です。
意味不明ですよね。ほんとに授業でこう言ってましたから。
認知科学も統計学も、どちらもとても面白いんです。
冒頭の今の仕事の方が、よっぽどわかりやすいかもしれない。
社会人ではより未知の世界へ
社会人になってから今までの話は、プロフィール記事やその他今やっている仕事の話の記事を探せばだいたい紐解けます。
とにかく未知の世界へ飛び込む。
考え方も、捉え方も、解釈も、ビジョンや大切にしている想いも。
何もかも、今まで培ってきた自分が通用しない世界にチャレンジし始めたのが社会人三年目の頃。
世界そのものが違うのですから、通用しなくて当たり前です。
ただ、よく勉強したらわかります。
別に精神世界に飛び込んだわけでも、宗教家を目指しているわけでもありません。
腑に落とすぐらいの努力をしていれば、徐々にそういうことかと合点がいくようになっているのです。
さなぎが蝶になるように。
ここから先は、フルモデルチェンジの領域ですから。
何しているかなんてわかるはずないでしょう。
だから、やっているのですから。
やらなかったら永遠にわからないまま。
そのループにハマることぐらいは理解していましたから、一歩踏み出し、歩み、時に後退もして、それでも前を向いて進もうとしています。
何しているの?と言われるぐらいが、ちょうどいい。
多分これからもきっと、言われ続けるのだと思います。
その度に自分の考えや価値観が磨かれるので、感謝。
望むところだ。