480.「インプットするからアウトプットできる」ではない
年内に、総記事数500記事に到達しようと目論んでいる。
別にそれで何があるわけでもない。
誰かに賞賛されるわけでもなければご褒美があるわけでもない。
2021年1月2日から始めたから、丸四年経つことになる。
四年間で500記事。
よくもそんなに書くことが出てきたものだ。
書くネタはどうやって探しているんですか?
とか、
どうやって思いつくんですか?
とか、
いっぱいインプットしているんですか?
とか、
いろんな質問をされることもある。
答えは単純明快。
ここまでアウトプットを続けられるコツはたった一つ。
アウトプット過多になれ。
訳の分からない人が、続きを読んでくれればいい。
順番が違う
書けることが見つかったから書いているわけではない。
書く内容をどこからか情報収集したから書けるわけでもない。
順番が違う。
アウトプットが最初である。
アウトプットするから、インプットせざるを得なくなる。
語弊があるかもしれないが、そのまま言うとインプットは意味がない。
インプットだけをしても人生何も変わらない。
脳内に情報だけがあって、それで何になる。
資格や勉強のテストや、スピーチ、こうしたブログ、人と話し合うこと、アウトプットの形は多種多様だ。
アウトプットから始まる。
そして、インプットせざるを得ない状態まで絞り出す。
順番が違うのだ。
ごちゃごちゃ考えても一文字にもならないのだから、いいからアウトプットする。
noteの右上の新規投稿をクリックする。
話はそれから始まる。
思いついたすべてのアイデアが二番煎じになる状態
アウトプット過多とはどういう状態だろう。
例えばこういったブログであれば、何とか思いついたアイデアが過去に書いたことと重なっていること。
他の方が詳しいから自分が書いても仕方のないような内容であること。
何を書けばいいかわからない状態で絞り出てきたアイデアが、やけに陳腐に感じて形にならないこと。
そんな無力感を感じ、ある種の小さな絶望を覚える。
人生の端々にネタはあるので、朝起きてから寝るまでの行動を辿ればだいたい出てくるのだが、それでももう書き切った内容ばかりである。
どうにもできない雁字搦めに陥る。
そこから始まる。
思いついたアイデアが、すべて過去の自分の二番煎じである。
そんな状態までまずアウトプットしまくろう。
目安はない。人による。
あるとすれば、300記事だ。
僕は最初にそう学んで、ライティングの世界に飛び込んだ。
「○○するから△△できる」という呪縛から解き放たれる思考
そもそも出来事があるから、書くようなネタが見つかったから、良質な情報を”インプットしたからアウトプットできる”というその考え方が不自由だ。
あなたの人生は出来事で構成されているのではない。
解釈だ。
「○○するから△△できる」というのは、裏返すと「何かをしないと何かができない」ということになる。
これは非常に不自由な発想である。
呪縛のようなこの思考回路をぶった切って、せめてアウトプットするからインプットせざるを得なくなる、という発想に至ってほしい。
だいたいそういった呪縛は逆にすればいい。
思考の癖を取っ払う。
書き続けていると、そんな瞬間を何度も体感する。
500記事まで、あと20記事。