360.あのとき、選手を辞めるという決断をしたから
「学生コーチにならんか」
その監督の一言を聞いたとき、当時12年間続けてきた僕の野球人生が走馬灯のように駆け巡った。
小学二年生の頃から野球を始めた僕は、その後大学を卒業するまで14年間野球を続けてきた。
14年という月日は、僕という人間を形成するのにはあまりに十分すぎて、今となっては野球は人をつくるスポーツだなと思うほどまでになっている。
プレイヤーとしての12年間。
そして、「学生コーチ」という役割で2年間。
どちらもかけがえのない野球人生。
特に最後の2年間は、僕にとってそれまでの野球観を覆していくほど強烈で、大切な思い出に溢れている。
学生コーチとは、主に選手の練習の手伝いをする。
ノックを打ったり、バッティングピッチャーをやったり、とにかく練習の補助を行う。
自分の練習なんてものはない。試合に出てプレーすることがなくなるのだから。
つまり、学生コーチをやらないかという提案は言い換えると、選手を辞めないかと問われていることと同義だった。
12年間の選手としての矜持や、活躍したいという憧れ。
部員の半分は甲子園ボーイというレベルの高い大学硬式野球部でも、僕は選手としての可能性を捨てずに一生懸命練習していた。
ただ、現実的なのかどうかは練習を重ねるごとに痛いほどわかってきていたのも事実だった。
今まで野球にかけてきた時間と経験と環境が、圧倒的に違いすぎる。
大学で埋められるような差ではないことが、練習を積み重ねるごとに明確になってきたのもまた、僕の決意を揺るがせる要因の一つだった。
選手を辞めて裏方に徹すること。
自分の野球人生で想像もしていなかった選択肢が出てきて、半年間悩んだ。
たくさんの人に相談したけれど、結局決めるのは自分であることはわかっていた。
野球をやっていることの意味を考えた。
さすがにもうプロを目指しているわけでもないのに、何に向かって野球を続けているのかも考えた。
好き以外にも、きっと理由があると思った。
思い返したのは高校三年生の頃。
同志社大学と立命館大学の伝統的な試合が春と秋に行われていて、その観戦に行ったときの光景だった。
関西学生野球連盟のリーグ最終戦は、同立戦と決まっている。
唯一ナイターで試合が行われて、リーグで最も観客も多く盛り上がる一戦。
僕はその試合を観て、純粋に「あの場に立ちたい」と思った。
そのときの想いが蘇る。
目的は同立戦に出ること。
大学野球を頑張ろうと思った理由を思い出した僕は、その目的に沿った決断をすることになる。
大学二年生の秋。
僕は野球選手を辞めた。
学生コーチとしての日々は多忙を極めた。
何せ打ったこともないノックを甲子園に出ていたような連中に打つわけなので、早急な自分のスキルアップが必要だった。
ただ、学年で学生コーチは僕一人だった。
自分がやらなければ誰もやらない。
その分確実に試合には学生コーチとしてユニホームを着て出られる。
その使命感だけで慣れない裏方の野球スキルも急いで身につけた。
明確な目的を達成しようと思ったら、意外と地味なことも請け負って継続することができた。
自分が選手だった頃よりもレベルの高い選手たちの周りにいるおかげで、自分の野球観も広がっていった。
甲子園に出るような選手の野球観は本当に勉強になった。
高校まで僕は野球の何を知っていたんだ、ぐらい新たに広がったのは、学生コーチになってまず良かったことの一つだった。
ひたすらに練習に励んだ。
選手時代と同じぐらい努力していたと思う。
選手を辞めるなんていう決断をしたのだから、この道を選んで良かったと思いたい。
引退するときに、学生コーチになるという選択をして本当に良かったと思って卒業していきたい。
決断した自分を裏切りたくなかったから、僕は必死になって練習に取り組んだ。
そうして公式戦が始まる。
学生コーチの背番号は52と連盟で決まっているので、僕は無事52番を背負ってグラウンドに立つことに。
念願の同立戦の舞台にも立てた。
たまたまリーグ戦が甲子園であったときは三試合も試合ができた。
甲子園で打った試合前ノックは生涯忘れないな、と感じて今でも鮮明に覚えている。
そして三塁のランナーコーチも、学生コーチの大きな役割の一つ。
試合に出ている実感が最も得られるのはこの時間で、僕は大学三年生の頃から全試合この場に立って役割を全うした。
思っていたけれど思っていただけで、まさか本当に同立戦の舞台に立てるとは正直信じていなかった自分もいた。
おかげで貴重な経験もたくさんできた。
慣れないことに対して頑張る自分自身も知ることができた。
目的が大事なことも、そこに向かって努力することも大事だということも学んだ。
選手がヒットを打ったり、守備でアウトを取ったりすると喜んでいる自分がいることに気づいた。
人の成功を喜べる自分になったんだということを知った。
もちろん野球人として、野球にも詳しくなった。
大切なチームメイトと忘れられない試合をいくつも創り上げてきた。
ただひたすら、目の前の勝ちにこだわっていた。
これらはすべて、選手を続けていて結果的に試合に出られなかったら得られなかったもの。
もしかしたら大成して試合に出られるほど実力が開花したかもしれない。
可能性は低かったけれど、ゼロではなかったかもしれない。
ただ、引退するときには、あのまま選手を続けていたらという後悔は欠片もなかった。
目標だった「この決断をして本当に良かった、と思って引退しよう」という状態は、完全にその通り達成できていたからだった。
あのとき、選手を辞めるという決断をしたから。
目的を思い出したから。
目標とする状態をイメージしたから。
だから、この場に立てた。辿り着いた。
これは野球人生を終えた今でも、僕の中にとても根強く残っている考え方です。
目的を決める。
目標をイメージする。
努力する。
何かを決めて、それ以外を断つ。
道中は、もしかしたら想像したものとはかけ離れているかもしれない。
だからこそ、目的が大事なのだ、と。
人生は長いようで短いので。
どこに行き着くかを決める。
それは、やり方探しよりもよっぽど大切なステップだと思う。
あの選択をしたから。
僕の未来もきっと、彩りに溢れているだろうと信じられる。
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