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486.街を歩く、人を見る、日常からほんの少し飛び出した世界
久々に、普段あまり行かない街を歩き回ってみた。
イヤホンをしたまま歩くのとはまた訳が違う。
街の音を聞き、行き交う人々を見て、12月の空気の匂いを感じる。
冬だ、という実感と共に、湧き上がってくる想い。
この新鮮さ、ほんのちょっとの非日常感。
こういう毎日が過ごせるようになれば、とても彩り溢れるんじゃないか。
そんな思いにふける、12月の昼。
知らぬ間にルーティン化していること
モーニングルーティン、ナイトルーティンなど、ルーティンという言葉は習慣とほぼ同義のように扱われ、これから身につけていくもの、みたいなイメージが先行しているように思う。
ただ日常でもルーティンは非常に数多く存在していて、それはもはや自分一人の力では気が付くことができないほどである。
歯を磨くこと、風呂に入ることなど行為の他にも、ルーティン化していることがある。
仕事場所だ。
意外と盲点だった。
オフィスに出社している人はまさにルーティンだろう。
僕は比較的在宅勤務が多いため、あまり外に出て仕事をしない。
セキュリティ上あまり良くないという点ももちろんある。
しかし、休日や休み時間に外で過ごしてみると、意外にもただ外で過ごしているだけでちょっぴり非日常感を感じている自分に気が付いた。
知らぬ間に、仕事は家。
普通日中は室内。あちこちに移動しない。
そう感じていたのかもしれない。
何にも縛られることなく、何かに追われることもなく、街中をぐるぐると歩いてみる。
景色を見る。
お店を見る。
それだけで随分と違うように感じた。
平日に休みを取って外出する感覚と似ているかもしれない。
ルーティンを脱すると、途端に新鮮になる。
ルーティン化した方がいいことも山ほどある。
しかし、ルーティンを脱した方が効率的になるケースもまた存在する。
ルーティンからの脱出は、ある種人生にとっての彩りなのかもしれない。
子どもの頃はあんなにも
幼い頃はすべてが新鮮だった。
世界は毎日違う顔を見せ、飽きることなく何度も何度も同じことをする。
子どもの頃にはあんなにも、世界は彩りに溢れかえっていたように思う。
今ももちろん、素敵な世界をたくさん感じる機会があるだろう。
ただ、あの頃みたいに感じることすべてから豊かさを受け取っていただろうか。
感性豊かに日々を生きているだろうか。
そういった意識を、大人になってからも、20代だけでなく30代も、そしてこの先40代50代になっても、持ち続けていきたい。
足が重くても、荷物が重くても、一度考え無しに外に飛び出してみるのもいいかもしれない。
そして、赴くままに普段訪れない土地に足を踏み入れてもいいかもしれない。
たまには触れてもいいんじゃない。
日常からほんの少しだけ飛び出した、この世界。