コートの埃を払ったらそこは
その日、マチュピチュに行ったという人の話を聞いた。いいな、行きたいな。想像するだけなら自由よね。
世界遺産のほこりがついたコートを着ると、よこっとび。すうっと飛んで行って、戻れなくなる。降りてみたらそこはマチュピチュ。
2021.12.15
わたしのコートはごく平凡なダウンのロング、袖を通して、ジッパーをあげて、一つだけ残してボタンを留めた。ほこりは払わずに、気を付けて、注意深く。ゆっくりブーツを履いてから、トントンつま先を叩いてみる。さいごのボタンをゆっくり、指先でさぐって、パチンととめてみて。
見下ろす崖の下は、雲が浮いている。
息が苦しい?肺が冷たい。
高度があるんだ。思ったよりずっと高い。
ここは、山のてっぺんなんじゃない?
緑に包まれた石の神殿の中に人の姿が見える。あれは現地の人だろうか、観光客じゃなさそうだ。極彩色のマントをまとって、こちらを向いた顔には激しい拒否が見えた。叫ぶように口を開いたけど何も聞こえない。手に持っているのは槍?そうだ、槍だ。それを、こちらめがけて振り上げた。
思わず手を挙げて目をつぶるのと同時に、山のふもとからすさまじい突風が吹き上げて、コートごと吹き飛ばす勢いでわたしを襲った。
気が付いたらわたしは部屋の中に座って、世界遺産の本とコートからていねいにほこりを払っていた。
魔法ってね、怖いものなんだよ。
また行くかどうかはわからないな。
怒られたから。