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剣客商売第5巻 第1話白い鬼
さいしょに
「剣客商売」、最初の出会いはテレビでした。原作を読んで、驚きました。江戸の地名がちりばめられ、歩きたくなり(江戸そぞろ歩き!)、地図を作りはじめました。
当初は切絵図と首っ引き、結局アバウトな場所にマークしてましたが、江戸・現在地名を対照するサイトに辿り着き、参考にさせていただいています。改めて、ここに感謝申し上げます。ありがとうございました。
みなさまに見ていただき・「スキ」エネルギーで、続けております。
ありがとうございます。
各話ごとに地図をまとめてますが、「白い鬼」は一週間かかりました。こうした手ごたえのある・テレビでやった作品を中心に続けていこうと思いました、今後ともよろしくお願いいたします。
※ネタバレありです!未読の方はご注意ください。
なお、当記事は「第1話 白い鬼」の初出箇所を探すものです。
小兵衛の家などの、いつもの場所は地図A(下段)にまとめました。
では。どうぞ。
「白い鬼」地図(画像)
今回のお話も、江戸の地理を生かしたストーリー、地図に起こしてびっくり(感動!)しました。左凡例は、赤のみです。
赤は、1月21日「滝野庄蔵が通ったコース+金子の帰宅」 ⑭×「樹木谷」
黒は、弥七を悩ませた3つの事件②③④
桃は、2月1日の金子伊太郎のコース
緑は、滝野庄蔵・敵討ち
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池波先生の書いたものをなぞると、ちゃんと道が見えてきます。
金子伊太郎が蕎麦屋へ行った日のコース。その日、伊太郎はまっすぐ帰宅、そのあとを傘徳が尾行して住まいを突き止めた。
グーグル検索:歩1時間20分、5.5km
![](https://assets.st-note.com/img/1694149488520-r67X26uP1k.png?width=1200)
滝野庄蔵の敵討ちの日。わざと遠くの「稲葉屋」に集合。田圃道を選んで進んだ。案内は傘徳。
グーグルマップ:歩25分、1.7㎞。行人坂ルートだと、22分、1.4㎞
〔稲葉屋〕と犯人潜伏先の距離は、例えば、「御茶ノ水駅集合、不忍池着」くらいの距離感。「東京駅から築地本願寺」とか。「わざと遠く」に納得。
![](https://assets.st-note.com/img/1694150660709-RhRdzNUqpJ.png?width=1200)
「白い鬼」本文抜書(地図用データ)
1月21日 小兵衛、滝野庄蔵を待つ
7)竜野庄蔵は上州沼田35,000石、土岐伊予守頼・竜野庄右衛門の子。庄右衛門は➀芝の藩邸内の長屋に住み、幼い庄蔵は小兵衛に剣を習う。
・庄蔵は、現在は国もとで暮らしている。
・3年ぶりの江戸、前日・恩師小兵衛に手紙:「明日参ります」
・21)沼田藩は代が変わり、土岐美濃守定経であるが、国もとに帰っている。
9)21日早朝②日本橋を南から北へ
竜野庄蔵は公用で三日前に江戸藩邸へ到着。明日は沼田へ戻る。
11)橋の上で、金子伊太郎を見、②日本橋を北から南へわたり返し尾行開始。
22日 小兵衛 沼田藩邸へ
14)沼田藩邸は、➀芝の江戸見坂(港区芝西久保巴町)
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左方、沼田藩邸 (緑)愛宕山・・・はっきりした道が東海道往還:同3丁目等。右に浜御殿
17)左腕を切り落とされたのは、③芝・白金の樹木谷のあたり。むかし〔地獄谷〕などともよばれ、罪人の首斬場があった。
④三田・南代地町の③崖下の雑木林のあたりで斬られた。
ちょうどそのとき、近くの織田丹後守(大和・芝村1万石)の家来が現れ、即死を免れた。
![](https://assets.st-note.com/img/1694096233095-msfB4qJXQN.png?width=1200)
21)「②日本橋にて金子伊太郎を見かけ、後をつけましたが、⑤伊皿子から⑥細川越中守様中屋敷③南側の細い坂道を下ったところで、金子めが待ち伏せていて、いきなり斬りつけてまいったのでござる」
まだ竜野が存命のときの話、場所については46)の調書参照
5日後
21)大治郎が小兵衛に
「今日、田沼様稽古の帰りに⑳竜閑橋のたもとで、弥七殿に出会いました」
「去年の暮れごろから、大分に面倒な事件が起こったとかで・・・」
22)小兵衛は滝野庄蔵の見舞いにいこうと・・・『庄蔵は浮世小路の松屋の浮世団子が好物だったな』
23)藩邸から田中宗作「滝野庄蔵、先刻、亡くなりましてございます」
金子伊太郎が沼田藩に現れて・・・
25)三年前の初夏のころ・・・
沼田城下・馬喰町の外れに、浅山一伝流の道場を構える野村房之介。
房之介は沼田城下の須賀神社の神官の三男。剣道を好み前橋の下条卓馬にまなび、江戸、諸国遍歴後6年前に、沼田で道場を構えた。
26)事件が起こる半年前、金子伊太郎が食客となった。
「高崎の御城下にある浅山一伝流、北山源右衛門先生のもとにいたころ、共に修行にはげんだ人」と紹介。
30)城下外れの薄根川のほとり「去ってもらいたい」・・32)10日後事件。
37)小兵衛、武蔵屋へ※竜野の件、あらましを話して協力要請。以下は、弥七の話。
40)「去年の12月の初旬からおよそ1カ月の間に、江戸市中の3カ所で同じような殺人事件・・
㉑中目黒村 竹藪中を通る細い道(第1の事件)
12月28日 ㉒四谷谷町の竜谷寺裏の空地。仲町の煙草屋利七の女房およし(第2の事件)
42)正月21日午後、㉓本所の外れの津軽越中守・松平備前守両下屋敷の間の幅2間ほどの路上。㉔本所柳原町6丁目傘屋権四郎の女房およね28才。当日、㉕中ノ郷横川町の実家へ用足しに出かけた帰途、襲われた。(第3の事件)
第3の事件と滝野の斬られた日時・場所が符合。
※ ㉒の「四谷谷町」が調べきれず、検索したらhttp://codh.rois.ac.jp/、教えていただいた。↓)示された切絵図。ありがとうございます!
![](https://assets.st-note.com/img/1694129352497-OcAi4wKTzI.png?width=1200)
田中宗作(調書)
41)小兵衛、大治郎宅へ「手紙を沼田藩邸の田中宗作殿へ届けてほしい」
46)(調書:滝野庄蔵、金子伊太郎を尾行したルートなど)
②日本橋から尾行:②通1丁目※から芝口橋へ通ずる江戸の本通りを行き、⑦芝口橋をわたった。
※②通1丁目:現住所は中央区日本橋。(解説)日本橋の南に位置し、東海道に沿って両側に広がる町。表通り(現在の中央通り)には白木屋、近江屋、江戸最大の書物問屋の須原屋など有名大店が集中し、江戸のメインストリートとして繁盛した。
47)金子伊太郎は東海道の往還をまっすぐに、⑧芝口3丁目から⑨柴井、⑩神明町へすすみ、⑩芝神明宮・門前にある〔上州屋吉兵衛〕という蕎麦屋へ入った。
小兵衛も行ったことはないが、上州屋の名前は聞いていた。
小兵衛と親交の厚い剣客・牛堀九万之助は、上州・倉ヶ野の生まれで、
「芝神明前の上州屋の蕎麦を食べて見て下さい。上州生まれの者にはなつかしい」
47)金子伊太郎は、⑪芝・増上寺を右に見て⑫金杉橋を渡り、⑬田町4丁目あたりから右へ切れこみ、坂の多い道を曲がりくねりつつ、③樹木谷の方向へ庄蔵をいざなった。・・以上(藩の調書)
![](https://assets.st-note.com/img/1694101330483-B73NziRFCm.png?width=1200)
金子伊太郎側 住処・1月21日回想(51p)
48)⑰芝・白金11丁目と⑱目黒の六軒茶屋町のちょうど境にある㉝鎌作観世音・境内の裏手の細道を、西に突き抜けたところの⑲百姓家
49)主人夫婦は㉝鎌作観音の門前に、葭簀張りの茶店を出している。
息子は、日本橋本石町4丁目の真綿問屋〔大黒屋三郎兵衛〕方、住み込みの番頭
![](https://assets.st-note.com/img/1694123871611-bYjTxjwmfI.png?width=1200)
49)去年の秋の暮に金子伊太郎は江戸へ出て来た。はじめのうちは旅籠で暮らしていたが、㉚目黒不動尊を見物に出た帰途、この㉝茶店で休んだ。
伊太郎は金を出し、物置小屋を改造してもらうことにした。
51)芝神明前の上州屋で大好物の蕎麦を食べ、⑭田町から⑮三田へ出て、⑯聖坂をのぼっているときに、庄蔵の尾行を知った。
51)金子伊太郎の成育歴。上州生まれ
2月1日 金子伊太郎
62)金子伊太郎は、㉗麻布の四ノ橋へ向かう途中、㉖三鈷坂で30がらみの女房とすれ違った。
63)㉗四ノ橋を北へわたって、新堀川沿いの道を東へ・・・㉘芝・増上寺の境内をぬけた金子伊太郎が、⑪芝神明前の蕎麦屋・上州屋へ入ったのは四ツ半ごろであったろう。
66)芝神明宮近くの㉙浜松町3丁目に住む御用聞きの梅吉の協力あり、傘徳が張り込み。
この日
72)小兵衛・大治郎と弥七は、わざと遠く離れた㉚目黒不動・門前にある〔稲葉屋〕という料理屋で待った。
72)散り散りに稲葉屋を出た一行は田圃道をえらび、㉛権之助坂の下へ出たところで合体し、坂をのぼりきって、㉜松平主殿頭下屋敷の角を西へ切れこんだ。
しばらく行って、田圃道へ入り、今度は北へすすむと、前方に、こんもりと竹藪が見えた。(地図上だと青ラインだけど、ちょっと推理した百姓家と位置が違う)
「あの、⑲板屋根の小屋の中におりますよ」
と、目付・矢部市右エ門に囁いた。
切絵図:敵討ち。目黒不動前に集合、田圃道を選んで進む(赤ライン)
※鎌作観音(釜作観音)前の道からは見えないルート。
※犯人の隠れ家は芝と目黒の境界線、品川台町と記載混同している地図もある由。捜査困難地というべきか?
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![](https://assets.st-note.com/img/1694124815588-1s0OJEvpQw.png?width=1200)
1875年(明治8年)に長遠寺(ちょうおんじ)(東京都大田区)に合併された。光雲寺には「鎌作観音」と呼ばれる十一面観音菩薩立像を所蔵しており、合併時に当寺に移された。出典:Wikipedia
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いまの目黒駅の北方面にあった。台地の上にあり、湧水が集まって池となった
地図A・紹介
ふだんの暮し(町)の見かけをちょいと剥いで、時間旅行をご一緒に。
「剣客商売」に住む方々が暮らす界隈など、いかがでしょ。
(くりかえし出てくる場所を「地図A」としてまとめました)
ご覧いただきありがとうございます。今日も良き日でありますように。