見出し画像

明治維新の頃(#熟成下書き)

 講演会に参加した。

 「郷土史における明治維新」という視点。『明治維新を学ぶ』場合、日本全体の動きが中心で、薩長連合だとか、新選組とか、物語が先行する。
 じゃあ、自分の住んでいる地方では、どう参加してどうその時期を乗り切ったのかというと、とてもあいまいだということがわかった。
 例えば、今回の地域史の会の勉強会で、多摩と入間の間辺りで、3万人の集会が3日?続いたらしい。市の商人が筵だの、酒だの、食料だのを提供したらしい。そんなこと、誰からも聞いたことがなかった。
 農兵が育成されていて、結局、武士の軍団は役に立たなかったらしい。

文化がガラッと変わった

 制度も行政の仕組みも上からバタバタと決まって行ったという印象が強い。「木に竹を接ぐような(文化の切り替え?)」と教わった気がするが、それを言うなら「竹に木を継いだ」だろうと思った記憶がある。
 だが、それを受け入れるだけの要素が国民になければ、たとえば、小学校・中学校など・・・成功すまい。
 昨日まで「士農工商」と言っていたのが、万民平等になる、その価値観はどう変わって行ったのだろう?全体ではなく、祖父・曽祖父のレベルで。
 そうそう、地域史で学んだのは、庶民レベルでは「士農工商」という身分への意識はなかったらしい。武士については、別格という意識はあったようだが。それでも、刀を差して(外見)いたら、なりすましもあったらしく。
 という名称も、明治維新に普及したもので江戸時代は単に『私領』と呼ばれていたらしい。大名領も私領。旗本の10坪ほどの飛び地も私領。
 幕府領のことをいう「天領」という名称も、明治維新で幕府領を天皇領に変えたときの名称で、江戸時代には全部が私領以外は全部幕府領だったので、とくに、名前を付けていないみたいだ(そこの土地とか・・・代官の名前を冠したり)。

明治維新のこと

 明治維新とは、1868年から1889年なのだという。
 暗記してたのは「1868年」だけだったので、ふうん、と思った。

明治維新とは、江戸時代末期(幕末)から明治時代初期の日本国内で行われた幕藩体制を打倒して天皇を頂点とした中央集権統一国家を形成し、幕府の封建社会から資本主義社会へ移行した近代化改革を指す

Wikipedia


 1868年からということなら、江戸時代が終わった直後?そりゃそうだよね。ということは、それまでの10年くらいが幕末で?
 ・・・案外、きっちりしているのだった。
 慶応3年(1868)の『王政復古の大号令』が発されたときから『明治』ははじまった。
 逆に、ここが明快なので、その前を「幕末」というのだろう。例えば、「ペリー来航」からだとか、「大塩平八郎の乱」からだとか、幕末開始時期には、があるらしく。
 ともあれ。
 幕末に準備された『明治維新』へのあれこれは、幕末の中で論じられなければならない。それも、幕藩体制の崩壊、とか、幕末の言葉で。

『江戸の完成形』はあるのか?

 私は『江戸の完成』に興味があった。なぜ、江戸の地図は1840年頃なんだろう???という疑問がスタート・・・だけど、江戸とは何かはあいまいで『完成』なぞというものはなかった。江戸(文化や構造や仕組みや人物や物語)があっただけ。いつの時代もそうなのかもしれない・・・その時代の完成形なんてないんだ。あとの時代からみて、あの建物がそう、というふうに回想されて、それが江戸なのだった。

 <あの建物が>・・・といえば、町はもっとも繁栄した時代の建造物が残るそうだ。富とか栄華が作ったもの。<美味しいもの>然り。
 
 過去を思うより、今の<建物><美味>に心を砕くべきかもしれない、と思ったことだった。

 下書きの棚卸をしようと、今年(2024年)残った記事をなんども見返したけど、相変わらずであった・・・今回のご提案で、ヨシッと思ったのは暮れのこと。
 主婦のサガ、年末のいい時期には家事を優先してしまい、今頃、記事になりました。イベントには間に合っていないかもですけど、私的には感謝、です。あと3つくらいペンディングがあるのですけど、どこまで『断捨離』(捨てることではなく、残すものを決めること、スッキリ暮らすことだそう)できますでしょうか・・・


#熟成下書き


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集