見出し画像

書くことで今日もわたしは息をする¦「書きたい生活」

「常識のない喫茶店」があまりにも良くて、僕のマリさんに魅了されて、その興奮を抑えられぬまま、早速次の日には、この作品を手に取っていた。

僕のマリさん「書きたい生活」を読んだ。

「常識のない喫茶店」待望の続編で完結編。些細であたたかな日常ほど忘れたくない。書き留めておくことで、きっとまた前に進める。そんな静かな決意とともに放つ、作家としての新たな一歩。

簡単なあらすじ紹介

前作では、お客様を出禁にしてしまったり、嫌なことは嫌だとはっきり言える強い女性なイメージだったけれど、今作ではその裏にある、繊細さを垣間見れたような気がして、読みながら、気づいたら泣いていた。

カフェで読んでいたのに、人目も憚らず泣きそうになるくらい、身に覚えのある感情がたくさんあって、その苦しさが手に取るように、文章から、言葉の端々から伝わってきて、胸をぎゅーっと締め付けられるような気持ちで、読んでいた。

「引き出しのなかを整理していると、かかりつけの精神科で出された強い安定剤を見つけた。『死にたくなるほどつらくなったら、これ飲んで寝てください』と処方された小さい錠剤は、この部屋で異様なまでの存在感を放っていた。直径二ミリほどの薬に握られている命かと思うと、情けなさに脱力する。人間は脆い。錠剤シートの穴は、わたしが打ちひしがれてきた数だった。」

「書きたい生活」p.59

ああ。好きだ。この表現も、この視点も、この生き方も。薬の錠剤シートの穴を気にしたことなんて、なかった。打ちひしがれた数だなんて、思ったことがなかった。そうだ、その通りだ。生きた証なんだ。頑張った証なんだ。

自分の存在を肯定できなくなってしまった時に、この文章を読みたくて、いつでも見れるようにすぐにメモに残した。あるじゃないか、身近に。わたしが生きた証、あるじゃないか。

これまでもこれからも、書いていくのだと思う。誰に頼まれたわけでもなければ、いつやめたっていいこの仕事を、自分の命綱のように握っている。いつも、頭のなかで弾けて浮かぶ言葉たちを並べているあいだのことを、幸福と呼ばずになんと呼ぼう。あのときの、指の先まで血が通う温かさと、脈打つ心臓のことを思う。書くたびにいつも、何度でも、自分と出会い直す。ままならないと思ってた毎日でも、それでも日々は続いていく。よろこびや楽しさだけで生きていけるのが人間ではない。だってわたしは、苦しいときこそ前に進んでいた。そして気づけば、書きたいと思う生活が、そこにはあった。

「書きたい生活」p.160

「苦しいときこそ前に進んでいた」そう言えるのは、過去の自分を見つめられるからなのだろう。過去の自分を見つめるには、やっぱり書くことが大切だ。些細なことも、腹が立ったことも、泣きたいくらいに嬉しいことも。

それが「いま」は些細なことに見えるとしても、きっと、1年後2年後のわたしから見たら、こんなこともあったなって日常を愛おしむ宝物になるから。

僕のマリさんの文章は生きている。言葉には鮮度がある。その鮮やかさを保ちながらも、落ち着いていて、呼吸するのが当たり前なくらいにわたしの心に静かに馴染んでくれる。

自分の中の「正しさ」を曲げないその芯の強さとしなやかさは、どこから来ているのだろう。そう思いながら、この作品を読んでいた。

やっぱり、僕のマリさんが好きだ。わたしも、書いて書いて、たまに深呼吸して。呼吸するように、息するように文章を書いていきたい。言葉を紡いでいきたい。

いいなと思ったら応援しよう!

紫吹はる
いつもありがとうございます。愛用していたパソコンが壊れてしまったので、新しいパソコンを買うための資金にさせて頂きます。