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シロクマ文芸部¦恋猫と月の約束
恋猫と一緒に月を見上げる。
墨で染められたような真っ黒な空に、吸い込まれまいと、必死に存在を主張している月。今日は、眩しいくらいに綺麗な満月だ。
「お前はさ、どうして、そんなに遠くを見つめているの?」
問いかけても、恋猫はただ静かに瞬きをくりかえすばかりだった。
この猫に出会ったのは、春の終わりの夜だった。雨上がりの路地裏、足元にふわりと絡みつくように現れた黒猫。濡れていても艶やかな毛並みは、撫でてみたら冷たくて、そっと抱き上げると、かすかに桜の香りがした。首元には、「恋猫」と書かれた、薄汚れたネームプレートだけがぶら下がっていた。チリン。
「お前、どこから来たんだ?」
猫は答えない。ただ、その瞳は真っ直ぐにこちらを見ていて、なにかを伝えようとしてくれている、ような気がした。
懐いてくれたから、なのだろうか。
それからというもの、毎夜のようにその猫は現れ、わたしの隣で月を眺めるようになった。「恋猫」というのは、春の季語らしい。そのまま、そう呼ぼうかとも思ったけれど、名前を付けることにした。真っ黒に艶やく毛並みを見つめる。月を見ている黒猫だから、「朔」。
どれだけ名前を呼んでも、首輪をつけようとしても、身軽にするりとかわしてしまう。けれど、わたしが寂しい夜には必ずそばにいてくれた。
「お前、もしかして人間だったりしないか?」
冗談めかしてそう言うと、朔はふっと目を細めた。その仕草が、まるで昔の恋人のように見えて、胸がすこしだけ痛んだ。
冬の気配が濃くなりはじめたある夜、朔は唐突に姿を消した。必死で探しても、どれだけ探しても見つからない。いつもの路地裏にも、ふたりで月を見上げたあの場所にも。
ひとりで月を眺める夜は、ひどく寒くて、なんだかとても心細かった。いつの間にか、月を見ることをやめた。満月の夜だった。あまりにも眩しいくらいに、光を放つ満月の夜。
やがて、年が明け、春が近づいた頃、わたしは偶然、あの猫と同じ桜の香りをまとった人と出会った。ふわり、と鼻につくその香りに思わず立ち止まり、声を掛けてしまう。
「あなた、どこかで…」
彼女は微笑んだ。まるで、すべてを知っているかのように。「朔」って言うんです。名前もなにも聞いていないのに、彼女はそう答えた。
恋猫と、今夜も月を見上げる。今日は満月だ。もうその光を、眩しいなんて思わない。隣にいる朔の、横顔をこっそりとポケットにしまうように、目に写した。もう寂しくはない。
終-【1005文字】
こちらの企画に参加させて頂きました✧*。
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