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ひとつの結果が出始める頃

その本質に目を向けず、体裁だけを重視して、本当の図星は避けながら、表面的に、インスタントに問題を解決しようとしてきたことの弊害。
本当はそれって、もう何年も前からあちこちから滲み出てきていたのに、ずっと見て見ぬフリをして、ごまかされてきた。
だけどそうやって、騙し騙し保ってきたものが、「崩壊」へのカウントダウンを刻み始めていることを、如実に感じ始めたここ数年。


そうしていよいよ、取り繕った外壁は崩れ始めてる。

ニュースの中だけじゃなくて、私の身近でもそれが起きているのを、目の当たりにしてる。
当人たちは「危機的状況だ」と大騒ぎしているけれど、私から見れば、これは少なくとも10年前から予想がついていたこと。
だけどそれに携わる多くの人は、取り組むべき目の前の小さなことをないがしろにしながら、土台はグラグラなまま、形だけを大きくしようとしてきた。

向き合うべきことから、掘り下げるべきことから目を逸らし続け、「外身だけちゃんとしてればいい」とごまかし続けてきたことの結果が、現実に姿を現し始めてる。

コロナワクチンの薬害ではないかと思われる症状が体に出ている人も相変わらず後を絶たなくて、しかもその症状が、慢性化しつつあるように見える。
より体に深く根を張っているような、そんな印象を受ける。

色々な側面で、ひとつの結果が目に見える形で出始めている時。
それは、今まで暗闇に押し込めて見えないようにされてきたものたちに、光が当たってきたということでもある。
世界という単位でも、社会という単位でも、そして個人という単位でも。



「暗闇に光が当たる」って、解放につながると同時に、痛みを伴うもの。
その痛みとどう向き合うかが、分岐点になる。
私たちは痛みを受け止めて、痛みを通して、本来あるべき姿に戻っていく。

「±0」になろうとする自然の法則の中で生きる私たちは、いつでも“本来”の場所へ、連れ戻されようとしてる。
その流れに、もうサレンダーするしかなくて、その中で時に「痛みから逃げない」という姿勢を、問われることがあるかもしれない。
私たちはそうやって、不自然なものを取り除いていく。

不自然なものが取れたら、自然に戻る。
今私たちは全員で、その渦中にいる。


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