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気づかってくれる人がいることは、生きる力につながる

気づかってくれる(ケアしてくれる)人がいることは、生きる力につながる。
今日、そう感じる出来事があった。

そもそも「ケア」ってなんだろう?
「ケア」には、大きく分けて2つの観点がある。

1つ目は「手をかける」という観点。例えば「世話する」「面倒をみる」
2つ目は「心をかける」という観点。例えば「気づかう」「配慮する」

私は、ケアマネジャーの仕事をしているのだけど、その内容は「手をかける」ケアの計画を立てつつ、「心をかける」ケアをみんなで協力し合っているのかなと思う。

とはいえ、「ケア」は医療や介護のような特定の現場だけにあるのではなく、専門職だけが「ケア」をしているのではない。

「ケア」は、日々の営みの中にあって、どんな人でも「ケア」をしている。

例えば、家族。離れて暮らしていても、「風邪ひいてないかな?」「ご飯食べてるかな?」と、心をかけ合う。一緒に暮らしていれば、お風呂をわかしたり、ご飯を作ったりと、手もかけ合う。

例えば、友人。毎日一緒に過ごすわけでなくても、節目節目に、「仕事上手くいってるかな?」「元気かな?」と、心をかけ合う。

そして、自分自身。体調を整えるために、栄養バランスのとれた食事をとったり、体を動かしたり、ぐっすり眠ったり。また、好きな物に触れたり、学んだり、休養をとったりと、手をかけ、心をかける。(セルフケアですね。)

そう考えると、日々は、ケアの連続。もし、ケアができなくなると、心や体のバランスがくずれてくる。

「人生はケアすること」

それぞれが、それぞれの幸せを願うこと。そのためにできること。ひとつひとつが「ケア」。

そして、自分自身を「ケア」することはもちろん、「ケア」し合える人が存在することは、幸せなこと。生きる力につながると、改めて感じた。

と、書き終えて、一昨日に書いた映画『しゃぼん玉』の記事につながるなぁと。


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