#7 どうして神山にここまでこだわるのか?
こんにちは。
本日の発酵雑記vol.7は塩麹レッスンへの
想いを全3回にわたって語ろうと思います。
神山の想い、塩麹の想い、発酵おうちごはんへの想いについて話していきます。
本日は、【神山への想い】
神山という土地
「徳島でずっとレッスンをやりたい」
と気持ちと同時に、
「徳島の神山町という土地でどうしてもレッスンをしたい」
レッスンをする!!!
と決めたときから考えていました。
まずは神山の話からですが、徳島県徳島市神山町という土地は徳島市から45分ほど車を西に走らせるとたどり着く県民にとっても山と川に囲まれたとても身近な自然を感じられる場所となっています。
最近では「神山まるごと高専」という面白い高専も生まれ、全国的にみても新たな創造と未来をみせてくれる土地へと日々進化している場所です。
私の原点、神山
そんな神山町は私の母のふるさとであり、私にとっても大切なふるさととなっています。
10代から20代の学生時代、人間関係で悩んだ時いつも母が神山に連れ出してくれました。
神山の自然に触れて、おじいちゃんのお墓を丁寧に掃除をして、山で採れた天然のしきびとスーパーで買ったお花、そしてお米とアサヒビールを祀るのがいつもの習慣。
たまに祖母に連れられ、山奥のその土地の神様とご先祖様のお掃除にも行きました。
春はたけのこ堀をして、たけのこをなぜかすぐ見つける祖母にいつも感心していました。
「どうしてほんな見えんちっちゃいたけのこおるんわかるん?」
「なんとなく」
秘訣は結局分からずじまい。笑
5月の新茶が毎年楽しみだったし、お正月はお手製のおそばと数の子とこんにゃくがほんまに大好きでした。
大学4年の時には地域学を専攻していたので、祖母の暮らしを題材にした卒業論文も書いたほど。笑
そば米汁は祖母が我が家に遊びにくるたび作ってもらった。
毎年新しい野菜の株を手に入れて、毎日朝起きて野菜の面倒を見たり、公民館で体操教室に通ったり、日日忙しく過ごしていた祖母。
そんな大好きな祖母が住むふるさと神山ですが、2年前の冬の寒い時期に最愛の祖母が亡くなりました。
祖母が教えてくれた
その頃より少し前、私は仕事と人生に病みすぎていました。
「自分は社会から必要のない人間なんじゃ・・・」
そんな風に社会から、世間から、レッテルを張られているような気持ちで本当にしんどくて苦しかった。
SNSも見たくなかったし、もう料理を仕事にしたいとも思わなかった。
だけど、祖母が教えてくれました。
私に新しい夢を。
それは祖母の死という悲しいきっかけではありましたが、そこから毎月少しずつ家族で入れ代わり立ち代わり祖母の家を訪れ続けた。
ただやはり、「人の住まない【家】」というのは劣化と風化がものすごいスピードで進みます。
このまま家と土地、そして思い出までも悲しい記憶のまま風化していくのは悲しすぎる…
私はこの家と土地を悲しい記憶のままではなく
「古民家民宿」
という新たな形で遺し続けたい。
新たな夢ができました。
神山の良さを【ここから】伝えたい。
なんもないけどなんでもある土地、
周りにいまだ住んでるおじいちゃんやおばあちゃんたちが寂しく死なない土地に。
学校や家族以外の新しい場所、新しい価値を生み出す場所。
何も言わずに気軽にきて買って帰れるような、夏休みに自由研究合宿したり、中高生たちには住み込みのインターンシップができるようなそんな場所。
一緒に創って届けたい。
神山という土地を守って伝え続ける。
そんな私にとっての人生の使命と野望ができた。
新たな生きる意味と楽しみをくれた祖母に、ほんまに感謝しています。
改めて伝えたい、神山でレッスンをする意味
そんな想いの第一歩が「神山でのレッスン」です。
ほんまは徳島市内の方がみんな来やすいかもしれん。
でもな、どうしても神山でのレッスンにこだわりたかったんよ。
この神山の土地のすばらしさをみんなに見てほしくてなにより自慢したかった。
「神山って最高なんよ!!!」
って。
そんな想いで今回神山でのレッスンを開催します。
次回は塩麹をテーマにした想いのことについて。
お楽しみに
今日も、お粗末さまでした