haru
この世界にはね僕だけしか知らない秘密があるんだ 変なやつって言われるから誰にも言ったことない秘密 ママとかパパとかにだって言ってないんだよ でも君はきっと、絶対、僕を否定しないから君にだけ教えてあげる 、え?知りたくない?ダメだよ だってもう教えてあげるって決めちゃったんだから あのね、僕達はね小人なんだ うーんと小さいんだよ でもね、地球も小さいんだ うーんと小さいんだよ ほかの惑星も、太陽系も、なんちゃら銀河だって、 それでね、僕たちは観察され続けるんだよ 大きな何かに
あなたを 死に追いやった 彼女を 殺してやりたいと思うのは 恋でしょうか
口下手な2人 弾まない会話 適度に気まずい沈黙 でもなんだかそれすら愛おしい ちょっと難しいゲームみたいで 話す度に君のことを知れて 少しずつ弾んでいく会話に舞い上がる レベル1からレベル5位にはなれたかな 今を君と生きて 少し先の未来を君と形作る それがすごく 嬉しくて 幸せで 胸をきゅってしてくる 奥手な2人 進展しない関係 適度に焦れったい距離 でもやっぱりそれすら愛おしい
"好き"って、恋愛、友情関係なく抽象的である。 故に、"好き"の理由も抽象的になりがちである。 優しいところが好き、気が使えるところが好き、性格明るいところが好き、とか。 いや、総合的にまとめると、上記のようになるんだろうけど、何故かずっと、こういう理由を並べて好きを伝えることにも、伝えられることにも不満足さを感じていた。 「1番好きな花」で、ゆくえちゃんが、紅葉くんの絵の感想を言う時に「''上手い''には理由がいるけど、"好き"には理由はいらない」って言っていた。 あわ!
キュビズム(ピカソとか)展にて、作品を見てたらおじ様に、「この作品はすごいよなぁ」と話しかけられました。咄嗟に、キリッとした顔で「ほんとですよね」って答えました。 ごめんなさい。なんにもわかってないです。この絵の人、陰気そーとかしか考えてないです。キリッとしてごめんなさい。
友達の実家に夏休み中、お邪魔した。 私の実家とは違って、自然がいっぱいで海がある素敵なところ。 せっかくだからって、夜、友達と友達の家から10分位のとこにある海に行った。 テトラポットと電車の線路に囲まれた、幅10m位の砂浜。 立ち入り禁止の柵をくぐらないと行けない、秘密基地みたいな場所。 柵をくぐるまではあんなに、自然に囲まれてたのに、いざ砂浜に降りると、無機質な人工物に囲まれて、見えるのは、どこまでも広がっている地平線。 海は、何を言うでもなくぶっきらぼうに、たまに、投げ
私はのほほんと生きてきました。 家庭環境は円満で親には愛され、友達もいて、顔も最低限生きれるくらいの顔で、勉強もスポーツも飛び抜けてるわけではないけれど程よくできて、自己肯定感は高くは無いけれど代わりに肯定してくれる人がいて、客観的に見て普通に幸せな人生。 試練はあったけれど、全部いい感じに乗り越えられるくらいで、今の自分の役に立ってるよねって前向きに言える試練。 もしかしたら、それくらいの試練しか乗り越えようとしなかったのかも。大きな試練はスルーして。 そんな人生で、 今幸
ヘッドホンを落とした 5500円のヘッドホン あっさり壊れてしまった 気に入ってたのに 買ってからたったの5ヶ月だった 修理に出そうと思った なのにお店の人は あー多分買った方が安いですね って簡単に言った なんだこいつと少し腹立たしく思った だけど私も 学生だしお金ないから って簡単に新しいヘッドホンを買った 全く同じやつ 型も 色も 値段も 私が 壊しちゃったから新しいの買ったんだよね って言わなきゃ誰も気づかない あーこれが現代の資本主義の仕組みなのか あーこ
私はいつまで地元を地元と呼ぶんだろう って帰省して暇に耐えかねて行った散歩の途中に考えた 大学生の私には自分が生まれ育った町はなんの疑いようもなく"地元"で"故郷"なんて言ったら大袈裟 だけど父は生まれ育った町を故郷と呼ぶ 俺の故郷はここが素敵で、こんな思い出があるんだ って その境目はなんなんだろう ってまた散歩しながら考えた もしかしたら存在するものの多さなのかもな ってまたまた散歩しながら思った 私が地元に帰ったら多少変わってるけど昔遊んだ公園があって、昔から行
カタツムリは遅い もうなんなら動いてるとこなんか見たことない ゆっくりゆっくり たまにイラッとするくらいに まあでもこの感覚は人間固有のもので カタツムリからしたら人間が高速で動いてるのかもしれない 目にも止まらない速さで きっと 「うわ、こいつらこんなにせかせかして忙しい奴らだなー」 とか噂されたり、 「『なぜ人間はあんなに忙しなく動くのか』という本がベストセラーとなりました」 的なニュースが広まってる もしかしたらカタツムリの世界はいかに遅く動けるかという競技がある
歌麿だか彦摩呂だかが 肉汁の大洪水やー と嬉しそうに言ってた でも現実世界では肉汁は危険きわまりない もし考え無しに小籠包を口に放り込んだら口中火傷の可能性がある そんなことになったら大事件である だが、小籠包に対して大抵の人は危機意識が高いから最初に皮を割いて汁を出してフーフーしてから食べる 一口で食べようなんて人はまずいない(はず) だが、餃子はどうだろうか 餃子だって溢れんばかりの肉汁を出してくるのに皮を割く人はまぁいない(おそらく) 噛みきろうとして思いがけな
世の中はさ、たっくさんの人で溢れてるよね それでさみんな違うよね、 多種多様ってやつ でもね、私はさ、できた人間じゃないんだよ だからさ、この世界の人が自分が好きな人だけになればいいのにってたまに思っちゃうの この人いなかったら大分幸せかもなって、 すごく悪い考えだけどね んー例えばそうだなぁ バ先で叱ってくる先輩とか意地悪なお客さんとか波長が合わないあの子とか とかとか、、 でもさ、きっと世の中って上手くできてんだよね いらない人って多分いないんだよ だって叱る先輩がいる
じぃちゃんが死んだ 聞いたときそれの意味が分からなかった けど悲しくなった そして涙が出た じいちゃんの葬式に行って、棺桶の中にいるじいちゃんを見て、お坊さんの長い長いお経を聞いて、やる気のないおじさんが燃やされたじいちゃんの骨の解説しながらじいちゃんの1/6くらいのちっさい瓶に砕き入れるのを見た けどじいちゃんが死んだことの意味がまだ分からない けど悲しくて やっぱり涙が出た この悲しいが自分の気持ちなのか、小さい頃から植え付けられている近い人の死=悲しいに囚わ
子供の頃は分からないものが怖かった。 夜に現れるおばけ、味を知らない食べ物、初めましてなのに笑顔で寄ってくる大人。 だから、親を質問攻めにしたし、分からないものを倒してくれるヒーローが好きだった。 でも、(小学生の頃と比べて)大人になった今は分かる(分かってしまう)ものが怖い。 夜に現れる孤独、大好物のカロリー、優しくしてくれるあの人の本性。 だから、事実から目を逸らすし、見なかったフリをする。 見たくない、見たくない、 知りたくない、知りたくない、 、、、それでも奮い
最近さー多様性が大流行だよね、 みんなちがってみんないいみたいな まぁそうだね でもさーふと怖くなるんだよね というと? そのみんなに自分は入ってるのかなって みんななんだから入ってるでしょ でもさーそれってなにか欠けてるけどなにかが飛び抜けてる人とか、変わり者に向けた言葉でしょ?違っていいんだよって まぁ、? じゃあ普通な私は?人と違えない私は?って怖くなるの、多様性に無視される気がして 君は十分変わり者だと思うけど 、だから私にはあなたみたいな人が必要
先日駅のホームに向かう狭い階段でおじさんが立ち止まって私の前に立ちはだかった。電車が来てて急いでたから「え、おじさん、、」みたいな気持ちになった。邪魔だなーって。 でも、なんだかんだ間に合ってふと冷静になると、おじさんは奥さんと思われる人に手招きしてたことに気づく。こっちだよって。私にとっておじさんは邪魔者だったけど、おじさんにとって私は奥さんとの間に割って入ってきたおじゃま虫だったかもしれない。 普段何の気なしに自分が主人公の人生を生きてるけど、たまには誰かの人生の脇役とし