自分軸で生きる難しさ
自分軸で生きるとはどういうことだろうか。
好きな仕事をしていても、自分で選んだ職場だとしても
仕事である以上、会社の方針や
上司の意向を聞かなくてはいけないし
自分はこうだと思っても、上司がノーと言えばそれはノーである。
その思いに応えようと一生懸命やっても
空回りすることもあるし、結果が伴わないこともある。
やりたい仕事をやっていても、多くの人や意見に振り回されて
心身ともに疲弊してしまう。
だけど働かないとお金はない。
我慢も必要だし、時には無理することも必要。
だけどそれが結果につながるわけでも、評価につながるわけでもない。
目標ややりたいことを持っていても
社会との関わりの中で
決してわがままにならず自分軸で生きるって
すごく難しいような気がしている。
ルックスも才能も人並以下。
一生懸命やること、努力できること
それだけが自分の取り柄だと思っていた。
だけど
それをするから他人軸になるのかもしれない。
一生懸命やっても、そんなやり方ではダメだと指摘されることもある。
じゃあどうすればいいのか。
凡人から一生懸命を取ったら
人並みのことはできない。
一生懸命やらなきゃダメ
一生懸命やりすぎてもダメ
こう考えている時点で、すでに他人軸なのだろう。
だけど他人に評価されて、それがお金になる以上
人の評価の中で生きるしかない。
自分のためだけの努力をして生きていくことなんてできない。
分かっているけれど、その中で”自分を生きる”難しさも感じている。
自分の幸せがなんなのか
考えて進んできたけれど
結局はボロボロになって傷ついて
前に進むことが怖くなって
閉ざされた道の前で立ち尽くす自分しか残らない。
選んだ道は間違っていたのか
私のやり方が間違っていたのか
家庭でもそうだ。
自分で選んだこと
自分で選んだ人
出産も自分の意志の場合が多い。
だけど、
自分の思ったように人が動いてくれるわけじゃない
誰かのために掃除をし、洗濯をし、食事を作る
感謝されることもなければ褒められることもない。
もう休みたいと思っても、やらなければ自分だけじゃなく家族が困る。
だからやるしかない。
自分が選んだ道の先で、誰かの人生のために心身をすり減らす。
これは自分軸の人生と言えるのだろうか。
みなどこで折り合いをつけ、幸せを見い出しているのだろうか。
諦めるのか、乗り越えるのか
ときに手放す勇気も必要になるのだろう
でもそれがなんなのか、いつなのか、決め切れない。
自分軸で生きるってなんだろう