ドラマ「silent」を見て感じた"ふくし"の伝え方
ついに終わってしまった「silent」。
胸がきゅっと切なくなるとともに、心があたたかくなる作品でした。毎週楽しみにしていたので、これから"silentロス"になりそうな予感です。
上手くまとまらないかもしれませんが、今日は「silent」を見て感じた"ふくし"の伝え方について書こうと思います。
以前、わたしは学校の"ふくし"の授業のコーディネーターをしていました。学校の先生から聴覚障害や手話について学びたいという依頼をいただき、聴覚障害の当事者の方をお呼びして手話体験を実施しました。
小学生向けの授業の内容は、当事者と通訳の方に前に並んでもらって誰が聞こえない人か当てるクイズをしたり、一緒にジェスチャーゲームをしてもらったり、指文字で自己紹介をしてみたり。障害があるかは見た目じゃわからないということ、聞こえないことにより無視していると誤解されやすいこと、日々の生活は工夫しながら過ごしていること、聴覚障害があっても聴者と大きくは変わらないことなどを学べるといいなと思い、プログラムを実施していました。
silentでは、病気で中途失聴になる当事者、生まれつき耳の聞こえない当事者、そしてその人たちを取り巻く周囲の人々の様子が描かれています。
当事者の方が感じる孤独感や絶望。一方で耳が聞こえなくなっても日々はつづき、耳が聞こえる人と同じように楽しいことや悲しいこともある。聞こえる聞こえない関係なく、笑顔になれることはある。
それぞれの目線を追いながら、暮らしや思いを追体験できるドラマは、当事者の立場も家族の立場も恋人友人の立場も、自分ごととして考える機会になりました。聞こえなくなった本人は自分が変わってしまったこと、できなくなってしまったことに落ち込み、周囲の人は聞こえなくなった身近な人に戸惑い、接し方に困る場面もありました。
それでも、人がわかり合えるかどうかは、聞こえる/聞こえないの違いではなく、お互いに伝えて理解し合おうとするかどうか、つまり心にある。手話ができる人には手話を、ほかには筆談、口の動きを読んでもらう、アプリを活用する…などいろんな方法があります。
日本語が通じない方でも、身振り手振りを使ったり、翻訳アプリを使ったり、伝えようとすれば何となく意思疎通はできるのと似ているかもしれません。
このドラマを通して、耳に障がいのある人や手話が身近に感じられるようになった人も多いのではないかと思います。日々"ふくし"に興味がある人を増やしたいと思っているので、とても自然な伝え方で素敵だと思いました。まずは知ること、触れてみること。
小さい子には難しいかもしれないけど、きっと中高生や大人には何か響いているんじゃないかと思います。自分なりにも、"ふくし"を誰にどう伝えていくか考えていきたいです。
("ふくし"の捉え方もこれと決めつけるのは難しく、日々考えています。こちらもまたいつか書けるといいな☺︎)