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ひとりごと#2

「鼠に引かれなや。」
これは随分と前に亡くなった祖母がよく言ってた言葉だ。
意味合いは一人でいると考え過ぎておかしな事を考えるから気をつけろと言う意味らしい。
幼い頃からこの言葉を言われていたので可愛らしいねずみさんにでも楽しい場所に連れていかれるのかと想像していたが、その考えは大人になるにつれ変わり、私の中で呪文となっていった。
思い返せばnoteで小説らしきものを書き始めたのは新型コロナウイルスの真っ只中だった。
テレビをつければ何が本当で何が嘘なのかもわからない程に情報が錯綜していた記憶がある。
仕事は必ず出勤しなければならずマスクをどうにかこうにか手に入れ人との間隔を保ちコロナ患者が職場に出れば消毒、検査、時差出勤が繰り返される日々だった。
今日は無事、でも明日はどうだろうか?
安心感がまるで無い日々を送っていた記憶がある。ワクチンを打つと体調を崩していた。
でも仕事はしなくてはいけない矛盾もあった。
テレビをつければ毎日、死亡者数、患者数、医療従事者の現状に、誹謗中傷の嵐、、。
さらに客先に納品する為、残業、休日出勤の日々で私は少し鬱々とした状況だった。
そんな時、白紙の紙に文字を書きたくなった。
誰かの記憶に誰かの頭の片隅にでも残る文章を書きたくなったのだ。
ど素人の私でも書ける場所がある事を知ったのはnoteだった。(紙では無いが。)
初めは何を書けば良いのか分からず仕舞いで何となく書いていたような気がする。
コロナが次第に身近な存在になり始めた頃、「老人と赤い花柄の傘」を書いた。
当初はコロナウイルスは題材にせずに単にストーリー展開をする予定だったのだがコロナウイルスと言う未知の病気を取り入れたくなった。
今、読み返せば文章が切れ切れでこれで小説と呼べるのかと笑ってしまうのだが。
今だに記憶に残る程の文章など書けてはいないが文字を打つ事で精神が保たれた。
今はコロナはそこまで問題では無くなりつつある気がするが相も変わらずヤツは鳴りをひそめている。このまま、さっぱり綺麗に消えて失くなればすっきりするだろうにと願う毎日だ。
人間は悩み多い生き物でいくつかの「何故?」にまたぶつかる。
また同じものが出てくるやもしれない。
私も人並みに傷つくこともあるし嫌気がさす事も多々ある毎日だ。
そんな時に祖母の言葉を思い出す。
「鼠に引かれなや。」
その言葉で私は我にかえる。
そして、呪文を唱える。
「鼠に引かれなや。」
これは全部、長い長い私のひとりごとなのでお気になさらず。

ひとりごと#2をお読み頂き有り難うございます。
どなたかの目にとまれば幸いです。

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