落差があって人間はリアルになる
読書感想文 『メインテーマは殺人』アンソニー・ホロヴィッツ
長く付き合っているのに、素性が知れない友人がいる。中学校で知り合ったから、通った中学と高校はわかる。可愛くてお茶目でチャーミングな子なのだけれど、性的指向や政治的スタンスはもちろんのこと、どこの大学に進学したのか、今はどこに住んでいるのか、実家はどこなのか、家族構成や仕事内容は全く知らない。どうやら東京に住んでいるらしいとか、実家は空き家でたまに帰ってくるとか、そういうのは共通の友人から聞いた噂であって、実際のところはわからない。ただ、たまに連絡を取り合う。知らないのに、私は彼女が大好きだ。
『メインテーマは殺人』の語り手はアンソニー・ホロヴィッツ本人である。彼は仕事で知り合った元刑事のホーソーンに頼まれ、彼の請け負った仕事について歩き、探偵実録を書くこととなる。その語り口はまるでホームズとワトソン。実際にホロヴィッツはコナン・ドイル財団公認でシャーロック・ホームズの新作『絹の家』を書いているし、本作にもそのエピソードが出てくる。そして作中のホロヴィッツも、これではまるでワトソンのようだと思う。現実と創作の境界を曖昧にしながら、ある資産家の女性が殺害された謎を解き明かしていく。
あらゆる賞を総なめにした『カササギ殺人事件』がアガサ・クリスティだとするならば、『メインテーマは殺人』はコナン・ドイルだ。タイトルがすでにシャーロック・ホームズっぽい。面白いのは、『メインテーマは殺人』では現実のホロヴィッツの世界に殺人事件が侵食していくようなイメージで、多くの登場人物は実在の人たちなのだけれど、(モデルはいるが)ホーソーンと殺人事件、そしてその関係者は創作なのだ。反対に、シャーロック・ホームズはコナン・ドイルの完全な創作である。ところが熱心なファンたちによって今ではホームズの家までもが、ロンドンの街角にある。まるで、実在した人物かのように。
ホーソーンは魅力的な人間ではない。高慢で厭味ったらしく、高圧的な秘密主義者だ。さらにいえば、小児性愛者と同性愛者をあからさまに嫌悪していて、誰に対してもその厳しい目を向けることに躊躇がない。この人間として欠落している感じも、どことなくホームズに似ている。ホロヴィッツは懸命にホーソーンの正体を暴こうとするのだが、煙に巻かれてしまう。最後まで読んでも、ホーソーンの真の姿は見えてこない。
それでも、しかし、ホーソーンはなんと魅力的な探偵だろうか。高慢なこの探偵を人間として好きになることは、現実的には難しいかもしれない。個人的には同性愛者に対する言葉を見る限り、とてもじゃないけれどお友達にはなれない。なのに、どうしてだろう、私はこの探偵が気に入ってしまった。気付かぬ内に、すっと挟まれる優しさや情とのギャップだろうか?特に、彼の提案した『ホーソーン登場』というタイトルのセンスのなさが、山椒のようにピリリと効いている。
ミステリとしては、驚きの結末!とはあまりならなかった。『カササギ殺人事件』のときも感じたし、『メインテーマは殺人』の解説にもあったが、ホロヴィッツはミステリとしてすごく公平だ。ミスリードを誘ったりもするけれど、決して後出しをしない。だから、ミステリを読み慣れている人からすれば、もしかしたらホーソーンと同じもしくは少し遅れて、結末に辿りつけたのではないか。ミステリに、無駄な言葉はない。あるのは伏線か、ヒントか、ミスリードか、そのどれかなのだから。ただ、新しい探偵の登場としては最高の一冊だ。
冒頭の友人のことを私は大好きなのだけれど、どこが好きかと言われれば、声を大にしては言えないが、柔和で優しげな物言いの中にすっと冷たい冷徹さが挟まれることがあって、そこが大好きだ。この落差、この温度差。ホーソーンとは真逆。共通してるのは、この差があるから人間としてリアルで、魅力的だってこと。待ち受ける新作が楽しみでならない。