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子供の夏休みと親たちの葛藤

夏真っ盛りの8月。

小学校に通う子供を持つ親であるならば、きっとこの時期は、親としての葛藤や仕事とプライベートのバランス感覚が試される季節であるだろう。

夏休みが楽しい思い出だったのは、いつまでだろうか。いや、もちろん、今でも楽しみの一つである。

会社員であれば、まとまった夏季休暇がとれて、
家族旅行にも行ける。

しかしである。

その休暇を除けば、
子供への申し訳なさやら、
仕事を頑張りたいのに頑張り切れない葛藤やらに心駆られるのが、親たちの8月。

夏休みには当然、一日中家に子供がいる。
もしくは学童へ行くことを選ぶご家庭もあるけれど、問題は食事である。

朝と晩御飯に加えて、昼にもご飯を作る必要があり、栄養バランスを考えるのであれば、手作りの方がいいだろう。

そして、このご飯を作るというのが、
一つのルーティンとして、
作業として、
重くのしかかる。

息子が作ってくれた卵焼き

「何食べたい?」を僕は1日に何度聞くだろう?
365日にしたら、ゆうに1000回を超えるだろう。
食事のメニューを考えるのはそれくらい大変なことなのだ。

日々の仕事をこなすだけでも大変な思いをしているのに、さらに昼ごはんのことを気にかけられる余力が、現代社会を懸命に生きる大人たちにどのくらい残されているのだろうか。

さらに、子供の日常を見てみると、
ずっと家でゲームをするか、
オンラインで友達と繋がるしか遊びがない。

宿題を勤勉にやることがあっても、昔ほど、夏休みの宿題はどうやら多くないようだ。1週間から2週間で終わらせられる子もいるだろう。

(もちろん、そんな中でも、ギリギリでやらない子供がいるのは世の常である。かつての私のように。)

毎日暇そうにしている子供達を尻目に、
または、後ろ髪を引かれる想いで、
僕たちは働きに出る。

「行ってくるね」
「いってらっしゃーい」

抑揚のない返事が、
今日もまた暇な1日を過ごすことになることを予見させる。

子供の夏休みは一瞬である。
そして、今、与えられる体験も
本当に今しかできないことだらけだ。

10代までに与えられた環境やチャンスで中学、高校での活躍が決まってくる。

そして、これは親側のエゴでしかないが、
中学生や高校生になれば、受験や思春期の友達付き合いを優先するようになるだろう。

幼少期、一緒に手を繋いで近くのスーパーに歩けた夕暮れ時が遠い過去になるように、こんな暇な夏休みも一瞬で過ぎ去ってしまう。

過ぎ去る季節を取り戻すことは不可能である。

そう考えると、親としてこの唯一無二の子供と過ごせるわずかな時間を大切にしたい葛藤も生まれてくるのも当然だ。

このエッセイの最後の結びを何にしよう。思いのままに書き進めてきてしまった。

各家庭の経済的なこと、
それぞれの仕事のことを考えると、
簡単な解決できることではない。

親10年生の私が安易に答えを出せるものであるはずがない。

今日もせめて、
美味しいご飯を作って家を出るしかないのだ。、

行ってきます。

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