世界史×旅で歴史を楽しむ
さて、永井忠孝氏の『世界史で学ぶ教養の英単語』(ダイヤモンド社)を読んで豊富な語彙を獲得したとしても、世界史を学ぶのはハードルが高いであろう。なぜなら、机の上で世界史の本を読んでいても楽しくないからだ。ならば、最も楽しく学習できる方法を実践すればよい。それが「旅」だ。
世界史講師の佐藤幸夫氏は『旅する世界史』(KADOKAWA)で世界の見方を養うためには旅をすることだと強調する。しかし、多数の国を訪れ、世界の文化的体験を重ねるうちに日本文化が根付いていないことに一抹の不安を覚えたと言う。
佐藤氏は上述のような懸念を示し、次のような執筆動機に至ったことを述べる。
世界史の教科書を一通り理解できたとしても、現地に足を運んで自分の国と異国の文化を比較すれば共通点が出てくる。このようなやり取りをしてこそ真の国際交流につながるという佐藤氏の指摘を真摯に受け止めよう。
本書から3つの国を取り上げる。その中で興味深いトピックを拾い、他の文献を引用しながら補足説明を行うことにする。
① フランス
フランスといえば、パリにあるエッフェル塔が象徴的存在だというイメージを思い浮かぶ。華麗な都市空間に身を置けば、街角のおしゃれな雰囲気に包まれ、優雅なひと時を過ごすことができる。他にも、ロワール渓谷の古城、ルーヴル美術館、ヴェルサイユ宮殿などの歴史建造物が観光スポットとして注目の的となり、訪れし者を魅了する。フランスの歴史を振り返ると、当時は自由と民主主義の思想に基づく豊かな社会とは別物だった。絶対王政に固執する体制であった。佐藤氏は次のように解説する。
絶対王政の時代の象徴とするものが本書に登場する3つの歴史的建造物になる。その中でヴェルサイユ宮殿は王権政治を党是とする体制のためのプロパガンダとして建てられたと言われている。ヨーロッパ近現代史に詳しい歴史学者の福井憲彦氏はヴェルサイユ宮殿が建立した理由について次のように説明する。少し長いが、引用する。
想像しただけであの時代に生まれなくて良かったと思う。自由がないからだ。絶対王政を貫徹する体制下で序列意識に適応しなければならないという勤勉実直な生活は割に合わないと考えるべきだ。
② イタリア
次にイタリアだ。イタリア人は明るく気さくなイメージが強い。訪れた観光客は楽しそうな雰囲気に包まれるイタリアの風情に心が和むことだろう。佐藤氏はイタリアの中世都市について解説する。
そのうちのシチリアについては次のように解説している。
シチリア島のパレルモという街は現代に入り、SDGsに基づく持続可能な社会を目指す一環として「エシカル消費」( ethical consumption )が回っているのだ。
「エシカル」(ethical)は「倫理的」という意味であり、人として守るべき道や行いのことを指す。「エシカル消費」とは、何かしらの犠牲の上に成り立っているのではなく、自他共に、自然に、そして地球環境にとってよいものを積極的に選択して経済を回そうとする概念である。SDGsで示す持続可能な経済指標の12番目の「つくる責任、つかう責任(持続可能な消費と生産のパターンを確保する)」に該当する。
つまり、シチリア島では、自然の恵みによって育まれた農産物を大切に消費しようと島内の地場産業の強化に取り組んでいるのだ。
ノンフィクション作家の島村菜津氏はシチリア島を取材する中でオーガニック食品を多く取り揃える市場の姿に触れている。バレルモはエシカル消費に取り組む象徴的なモデルだと理解できる。
パレルモでは、オーガニック食品を主流とした農産業で商いを行っている。自然食品を多く扱っている。このような地場産業の隆盛が持続可能な消費を促しているようだ。日本と比べれば、シチリア島をはじめとするイタリアの食料自給率は高いのだろう。
さらに、島村氏はエシカル消費に拍車をかけた背景について説明する。
マフィアが所有していた土地では暗く鬱々としたイメージが付きまとう。だから、明るく幸せな場所へと姿を変えるべく、島の人々は立ち上がった。オーガニック中心の農産業に転換したことで大地にも人にも負荷をかけず、エシカル消費が循環するようになったのである。かつて映画『ゴッド・ファーザー」の島と呼称されていたが、今では子供から大人まで誰もが社会参加することができる生き生きとした社会に生まれ変わった。持続可能な経済社会の最先端を進んでいるのだ。
因みにシチリア島に住む人々は100歳以上のご長寿が多い。島ならではの健康法を実践しているのである。
③ 台湾
最後は台湾である。台湾は日本との友好関係が強い。2010年代に入り、台湾の人々は日本のアニメや押しキャラなどのポップカルチャー・サブカルチャーに触れるべく、観光も兼ねて来日することが多い。そんなこんなで台湾との関係性は身近に感じるのだ。佐藤氏はかつて日本の植民地だった台湾の歴史的経緯について解説する。
映画『千と千尋の神隠し』を観たことは誰でもあるだろう。登場する街のイメージ画として起用したのは台湾である。過去の歴史が暗い影を落とし、日台関係を悪化させたことに言葉を失うしかない。戦争における良し悪しに関わらず、過去の教訓を生かす。乗り越えた上で良心的な互恵関係を築けたことは奇跡と呼ぶべきであろう。
しかし、近年では中国を念頭に東アジアの国際関係に緊張が走っている点も否めない。米中関係の摩擦も見逃せない状況になりつつある。台湾も中国による強硬路線に突き進んでいるという動向が新聞やテレビ報道を通じて、あちらこちらに散見されることも珍しくなくなった。佐藤氏は台湾の経済的地位向上と米中対立の構造について解説する。
李登輝の政治的手腕は台湾の中でも熱烈な支持を受けていた。後に故・安倍晋三元首相との親和性が高いことでも知られている。李登輝の日本に対する提言は保守界隈で広く浸透している側面があるが、当然ながら賛否は分かれるだろう。
2020年代に入り、台湾の独立問題を巡って中国が強硬な態度を示している。後に日本にも影響を及ぼす状況になりうるかもしれない。ジャーナリストの野嶋剛氏は中国が台湾を統治しようとしている背景について、次のように述べている。
「一島三峡」という考えが中国共産党の内在的論理であるならば、アメリカも決して黙認するわけではない。台湾に沈む海底資源をものにしたいがゆえに、海域を占領されることはアメリカ自身の国益に直結するからであろう。アメリカにとって台湾は重要な貿易相手国であると考えれば、中国の出方には目をつぶるわけにはいかない。米中対立がエスカレートすると、台湾にも日本にも飛び火がくる。本格的な米中衝突が現実味を帯びることのないよう、外交交渉だけでなく共有財産(コモンズ)の経済圏を確立するしくみを作るのが紛争を呼びこまない手段となるかもしれない。
『旅する世界史』は旅を通じて世界の歴史を俯瞰するのに格好の学習書である。旅行関係者の方々はアイデアづくりのために役立つヒントになると思う。
<参考文献>
佐藤幸夫『旅する世界史』KADOKAWA 2023
福井憲彦『教養としてのフランス史の読み方』PHP研究所 2019
島村菜津『シチリアの奇跡』新潮新書 2022
野嶋剛『台湾の本音』光文社新書 2023