答案用紙を捨ててた娘と、その母の話
娘の部屋の掃除をしていたとき、部屋のごみ箱から、テストの答案用紙が出てきました。私が知らない、60点の算数の答案用紙。
どうして捨ててあるのだろう。
その前の日、
「お母さん、今日は社会のテストで90点やったよ。」
と誇らしそうに報告してくれた長女。
「おぉやったやん!」ってほめました、私。「よくがんばったね。 」とか言って。90点って「良い」点数やと思ったから。
そしてそのあと、部屋の掃除をして見つけたのが、算数の、60点。
とっさに、
「あ、見せずに捨てたのかな。」
って思いました。2秒くらいの間で、いろいろ考えが頭を巡って。
90点のは見せられたのに、60点のは見せることができない。彼女はそう思ったのだろうか。
答案用紙を捨てさせたのは誰
そのあと、娘に直接「これ、何?」と尋ねることもできたけど、今回は特にそうしなかった。もし、「見せられない」と娘が思ってたとしたら、私がそう思わせてるんやろうって意識があるので。
それにまぁ、親にテスト隠すことくらい、あるよね、とも思ったり…。捨て方が甘いけれどもね。
子ども時代の私と、母と
私、友達の答えをこっそりカンニングして、それで答案用紙提出する子どもでした。
小学校低学年の頃かなぁ。何でそういうことをしたのか、きっかけはもう覚えていないのだけれど、正直、あんまり罪悪感なくやってしまってた気がします。今回の娘の答案用紙の件で、小学生当時の私のことを少しだけ思い出しています。
私の母は結構、教育熱心というか、テストの結果とか、あと、学級委員とかね、やるやらないとか、すごく気にする人でした。テストの結果は毎回報告?してたし、そういう「クラスの代表」系の仕事には、「手を挙げなさい」って言われていました。
カンニングしてまで、良い点数取りたかったのって私自身の虚栄心が大いに影響していたと思うのだけれど、やっぱりどっかで、「お母さんに褒めてほしい。」とかって心があったがゆえ、だったのかもしれないなぁと振り返っています。
何とかして高い点数キープして、お母さんに褒めてもらおうと安易に考える。でも、そのココロはきっと、
「ありのままの点数では
とうてい喜んでもらえへん」ってこと。
良い点数と、そうでない点数があったんですよね。私の中で。
娘の60点の答案用紙の真意にみる、私が彼女とどう向き合っていきたいのか、という問い
さて。
そんなことを思い出しながら、娘の60点の答案用紙を眺めます。
このことを通じて思うことは、決して彼女が隠していたのかどうか、とか、
隠し事はうそのはじまりだ、とかそういうことではなく、あくまで
私は、彼女と、
どういう親子関係でありたいのだろう。という自問。
もし、もし、娘が本当に「60点の点数はお母さんに見せにくいなぁ。」って
思ってたとしたら。
カンニングしちゃってた小学生の頃の私のように、60点の頑張りを、お母さんはほめてはくれないだろうって思ってるとしたらそれは結構、悲しいなぁと思うのです。
そしてね、娘には、たかだがテストの点数ひとつふたつで自分のこと「あかん」とか「あの人よりすごい」とかそんなこと思っていてほしくない。
もちろん頑張って高い点数取るのって悪いことでもないし、むしろ素晴らしいことですよ。
でも決してそれだけではない。頑張ったのならそれでもう十分やろうし、間違ったら、分からんところが判明した!と考えてそこを丁寧に復習する、、
そういう思考でいてほしい。私はそうできなかったのだから。
有形無形の伝え方で、娘の頑張りに、点数を付けてる部分が私にないだろうかと振り返る良い機会となりました。
60点の答案用紙の意味は何だったのか。真相は娘のみぞ知る。そもそも、実は娘も、さほど他意なく捨てちゃっただけの話かもしれないし。
子育てしていると、自分のこれまでの思考癖やら過去のもろもろやらをばっと見せられる瞬間ってのが多々ありますなぁ。
「これ、どうなってる?」ふと気を抜いた頃に、大事な案件の内容確認してくるできる上司がそばにいる感じです。