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どれだけ書いても、癒えない痛みもある

書くことで自分の素直な気持ちに向き合えると
自己理解が深まり、自分の感情もある程度
コントロールできるようになります。


悩み事があっても、モヤモヤし続けるだけではなく
次なる一手がわかるようになったりします。


書きながら自分を整えることができると
主体的に、また、納得感を持って
人生を歩むことができるようにも、なります。


けれど、けれどです。
どれだけ内省をしようと、
自己理解を深めようと、
消えてなくならない、想いもあります。
むしろ、自分にふかく沈んでいくような
「内省」を続けることで、
そういった気持ちがより明確に
浮き彫りになることすらあります。


書くことで自分を整える。
書くことで幸せにさえなれる。
それは事実ですが、
自分を深めるということは
同時に、自分の中にある陰と陽が
より明確になってくる気がしています。

自分のテーマとなる20年前の出来事


20年ほど前。
当時大学生だった私は
大事な友人の気持ちを
ないがしろにしてしまう、
という経験をしました。


もう20年近くも前のことですが、
今もなおそのことがふっと
心によぎることがあります。
いえ、よぎるとかじゃないですね。
ずっと、心にある感じ、でしょうか。


当時はそういう行動に出た自分を
ものすごく責めてしまい
自分自身のことが信じられなくもなり、
ずいぶん辛い思いをしました。


その後、
多くの人に話を聞いてもらい
自分自身でももちろん、
書いて書いて、書き続け、
自分の心を整える、自分の今後を考える…
そういうことをしてきました。

 

あのことはどういう意味を持つのだろう。
あのようなことをした私は
これからどういう風に生きてゆくべきか?
そんな問いになんとか答えを出そうとしたのです。


書いていくと、確かに、
いっときは答えめいたものが見えます。


でも、いまもなお、
迷いのようなものはなくならない。
自分を責めてしまいそうにも、なります。
こんな私でいいのだろうか?
こんな風に生きていってよいものか。
心の中にささったままのものが何か、
あるんでしょうね。

書ききってもなお、残ってしまうわだかまり


そんなグレーな状況が、
何か一歩踏み出すときの
ある種「足枷」
のようなものになるのではないか
いつまでも過去のことを思い出す自分が
「前向きではない」のではとも思い
何とか「消化」したいなと思ったのですが、


書いたところで
「昇華」されえない思いもやっぱり、
あるんだろうなぁと思っています。


であれば、書くこと、
内省からしばし離れることも必要。


そうしてその後、何度でも
また同じ問いや感情に
向き合っていけばいいのかなと思います。


思い出すと心痛めてしまうような思い出であれ、
見つけるたびに「うわっなにこれ、最悪!」
と感じる自分自身であれ、
そこにあるのであれば、
もう、共に在ろう、と今のところ
私はそんな風に、
自分の感情と折り合いをつけています。


書くと、自分自身が
よくよく見えるようになります。
書く習慣が、
自分の内面に対して
敏感にならせてくれるからです。
浮かび上がってくる自分というのは時に、
見たくないような姿だったりもします。


でもそういう自分がいることに
気づくことができる。


そしてね、
初めは「どっひゃー」と
引いてしまうような自分でも
ある程度時間が経つと不思議と
受け入れられるようになっていきます。
あきらめがつくというか(笑)


書くことで「何か」が見えてきた。
ではその次は?


見えてきたものとの
よい付き合い方を、
じっくり考えていくのもまた、
必要なことです。


書いても書いても、
見続けてもなお、
まとまり切らないもの。


それがもしかすると
その人自身のテーマ、
となる日もくるかもしれない。


そういう意味では私のテーマは

・受け入れがたく思うもの、
をいかに受容するのか、とか

・やらかしてしまう私の弱さを
どこまで赦せるか、とか

いかなる私をも受容する。
これがたぶん私のテーマ。

SHOWKOさんの『私らしい言葉で話す』を読んで


そんなことを考えていたら、
こんな素晴らしい本に出会いました。

私らしい言葉で話す

なんかすごい本だった。
言葉がどういうものであるのか、とか
それを使って他者と、
豊かなコミュニケーションをとっていくには
どういうことが必要なのか?
といった技術的なことも書いてありましたが、
個人的には第五章が響いた。以下、一部引用…


―感情を認識し、自覚すること。
そしてそれを今度は言語化し、
自分でさえも知らなかった
新しい自分を興味深く捉えること。
それが自己受容の最初の一歩です。



―自分のなかにどんな感情があったとしても、
いつか生きる「肥やし」にする。
そのために、経験を重ね、自分の言葉を持つ。
まだ消化できない体験にも、いつの日か意義を見出す。

そんな気持ちを持つ。

そのあくなき探求こそが、「覚悟」といえるのではないでしょうか。

***

そうか。
言葉とつきあうって
時にこのぐらいの熱量がいるものなのだ。


そんなことを思い出させてもらった一書でした。
これを執筆されたのが、陶芸家の方というのもまた
面白いですよね。


書くことの意味を最近改めて深堀り中!
皆さんはずっと考え続けてること
何かありますか?
扱いにくい(笑)感情と、どういう風に
日々お付き合いしていますか。

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