インラケッチ~鏡の国の住人
10数年ほど前、とあるゲーム系SNSのような場所でコミュニティを開設しておりました。
まだガラケーが主体だった時代です。
そこでわたしの日記を見たある人が「あなたって面白いね」といって付き合いが始まったのですが、彼女が教えてくれたことがわたしの人生の最初の岐路になりました。自分が求めた真理というかスピリットの奥深くで「知っていること」はスピリチュアルとか精神世界というのだと教えてくれたのです。
それまでは小さな本屋の本棚の分類よろしく「心理学」「宗教」「サブカルチャー」という分類しかなかったわたしの脳内は乾いた大地が水を吸い込むようにその分野の情報を求めました。
そして「もっと学びたい。誰かと共に学びを深めたい」と思ったことから研鑽の為のコミュニティを開設したのでした。
コミュニティの主催者という立場ではあったのですが、わたしはリーダーシップをとる気はありませんでした。
虹の色のように、それぞれ個人がそれぞれの輝きでその人が持つ最大の輝きを放つようにという願いを込めてコミュニティ名を付けました。
そして自身もその過程にある一人として、ただ情報を共有しつつ学びあえる仲間が欲しかったのです。
でもうまくいきませんでした。
今の時代なら結果は違うと思います。でも日本人ならではなのか・・・少なくともコミュニティの趣旨に賛同して集まってくれた人々は公(自分以外の多数の目)に晒される場で自分の意見を表明することが難しい傾向を持っているということを嫌になるほど思い知らされました。
わたしはそういう面にはあまり抵抗を感じないタイプでした。
でも自信に溢れていたわけではなく、単に好奇心の方が勝っていたのだということをお伝えしておきます。
なりふり構わず、ただひたすらに求めるものを探究したかったのです。
思った通りの運営にはならず、わたしがコミュニティメンバーを率いてリーダーシップをとっていくという形での運営になってしまったのは不本意でしたが、それ故の学びもありました。
その中から一つ気づきを共有させていただきたいと思います。
コミュニティを運営していく中でカードリーディングを行っていたり、自分と向き合う取り組みを行うようなトピックが多かった関係上、メンバーから色々な相談を受けました。
話を聞いてアドバイスをするような感じになるのですが、その中でひとつ真理のようなものに行き当たりました。
それは、「相手に対して話していることはそのまま自分へのことばになる」ということです。振り返ると自分へのメッセージと言いきってもいい言葉を相手に伝えているのです。
noteには創作物を書かれていたり、経験のシェア、気づきを書かれていたりという方も多いですが、アドバイスなど誰かの相談にリアルタイムで対応されている方は既にお気づきかもしれませんね。
多くの人は自分を取り巻く外の世界に住む人たちに対して一定のフィルターを持って見ています。
価値観の反映もあれば、偏見・色眼鏡と呼ばれるものもあるでしょう。
どれだけのフィルターを重ねているかはその人それぞれです。
国や文化、宗教が持ち合わせているフィルターの為に、個人で持っているという自覚がないフィルターもあるでしょう。
日本は宗教的な縛りが薄い国ですが、健康とかネットワークビジネスとか宗教に全く関連のないものが宗教的役割を果たしているような感も受けます。
その場合もフィルターの自覚は皆無でしょう。
フィルターは人に連帯感を与えます。優越感も。
エゴに栄養を与えるものの為、人はあえてそれを捨て去ろうとはしません。
でもその為に人は相手のありのままの姿を見ることができなくなっているのです。
そしてその事実にすら気づいていません。
殆どの人が相手に対して見ているのはヴェールにうっすらと反射した自分自身の影なのです。
そしてその自分自身を投影した相手に対していいとか悪いとかジャッジをしているのです。
だから同じ人の同じ行為を見ても見ているものが違うのです。
或いは見ようとすらしていないのが現状です。
どこを見ても自分の影が映るので、そこからもう目を逸らしてしまっているのです。
逃げるのは別に悪いことではありません。
誤解しないでくださいね。
さて「苦しんでいる人の力になりたい」「非力ながら誰かの支えになりたい」そう思う人は大勢います。
でも大抵一番先に救わなければいけないのは自分自身です。
それでも、自分が辛くても、より苦しんでいる誰かの痛みがわかるだけにほっておけないのです。
そうやって相手を見るとき、本当にこころから自分を捧げて言葉をかけるのだけれど、面白いほど自分自身へのアドバイスになっているのです。
よくギャグで誰かに捨て台詞を吐くとまんまブーメランというようなネタがありますが、それのギフトバージョンみたいなものです。
これは宇宙の法則によるところと理解しています。
人に教えるほど極めているわけではないので経験談だけに留めます。
自分がアドバイスをしていると立場が上だとかよくも悪くも自覚が芽生えたり、あの人は凄いと(無意識にも)崇拝したがったる人に出会ったり、エゴが揺さぶられるような出来事が起きてくると思います。
でも知っておくべきことがあります。
人は与えているようで実は受け取っているということ。
裏返せば、受け取っているようで実は与えているともいえるということです。
人は鏡に写せばこそ身なりを正すことができます。
出会ってくれる方々は皆自分自身を映し出してくれる鏡のような存在なのです。
だからこそ自分への的確なメッセージを引き出してくれるのです。
わたしもコミュニティのメンバーに支えられながら、本当に与えているようでたくさんのものを受け取らせていただきました。
彼らは自分が与えた方だという自覚はなかったと思います。
でもわたしがコミュニティで得た学びはいまもわたしの霊的な血肉となっています。
この記事が誰かの力になるために志高く生きておられる方々や、受け取ることと与えることのバランスが上手くできない不器用な方、ご自身のエゴの欲望に悩まれる方、そして問題を抱えた人との人間関係に悩まれる方のこころに届けばいいなと願っています。
今日も駄文長文でしたが、お読みくださった方々いつもながら本当にありがとうございました。
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記事を読んで回りながらなので時間がかかっています。
でもそんな出会いが宝物の時間です。
ありがとうございます。
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