自分が好きなことその全部が自分の心の栄養
以前の記事で「アウトプットの形に応じたインプットが必要」っていう記事を書いた。
自分の内側にある衝動のそれぞれの形に応じたアウトプットも同様に必要で大切なんだって改めて気づいた。
全部誰かの為になる形、必要とされる形にできないものは無視しようとしていた。
存在理由を「ただ自分が好き」っていうだけじゃ認めてあげられなかった。
そのうち本当に好きなのかどうかもわからないような気持になっていた。
きっと感情を切り離して思考だけで物事を取り扱うのに慣れている人は同じ罠に嵌っているかもしれない、と思う。
なにかの折にその趣味とか行為に関わると溢れるような高揚感で満たされる。それでも理屈で抑え込んでしまう。
でもこれより最優先すべきことがあるから、これをやっても無益だから、そんな時間があったらしなければいけないことがあるから。
ただ、自分が楽しくて幸せなだけのことだから。と。
誰の為にならなくても、世の中に何の益も生み出さなくてもやってもいいってそうやって許可も出したのに、あまりに忙しくて忘れてしまっていた。
やるべきことに自分を埋もれさせているうち忘れてしまっていた。
ただ自分を幸せで満たしてあげるって大事なことなのに。
自分と自分の身体と感情と。
その中の平和と調和。
この身体が「神の住まう神殿*」ならばその王国に調和がなければ。
*昔タオ指圧の遠藤喨及氏の書籍で感銘を受けた考え方です。
* * *
思えば数日前酷く疲れた日の夜見た夢は温泉の夢。
日常レベルから離れた癒しを求めているサインでした。
どこかに行けることもなく自分にとっての癒しを思考の中模索して終わりましたが、現状を振り返ると仕事も楽しいからと趣味を完全に切り捨てていたことも一因かもしれません。
意識せずセルフジャッジにあっていた自分自身からの反乱の声でした。
* * *
写真はangieさんからお借りしたリンデンの花です。
ハーブとの触れ合いもわたしの好きなこと・・・時間をとっていきたいとの思いで使わせていただきました。
素敵な風景と時間をありがとうございます。