恐れの正体
わたしの中にはひとつ明確な教訓があります。
「恐れがあったら飛びこむ」
なにかが怖い。そう感じる自分を見つけたら、あえてそれをやるということ。
大したことはやれていませんが、高所恐怖症の改善の為にジェットコースターに挑戦したり。
あの時は子ども用のコースターからステップアップする作戦でした。
子どもコースター「くじらのクーちゃん」は緩やかな勾配をアップダウンするだけのものですが最初はそれも怖く。
必死にしがみついて「死ぬ―!死ぬ―!!」と絶叫しました。勿論頭の中だけで。
その時おもしろいことが起きまして。
わたしが「死ぬ―!」と叫ぶと「死なない、死なない」と頭の中で声がするのです。そりゃもう、はっきりと。
どちらかというと右側、ちょっと笑ったりなんかしちゃった感じで。
自分としてはもう必死なんです。
だけど叫ぶたびに頭の中で「死なない」と笑う声、そして実際生きている自分(当たり前)。
それがわたしの初めて恐怖を克服すると意図して臨んだ体験で、恐れがあったら飛び込むと決める素地を作ったと思っています。
すごく雑な話ですが、選択のときに「死ぬか死なないか」を考える。
やりたいことがある。
でも迷っている。
そんなとき「死にゃあせん」って笑えるならやります。
そんなわけで賞味期限切れの食材も躊躇いなくわたしの胃に収まります。
他人に強要はしませんけれどね。
生きているのは勿論のこと、お腹を壊すこともありません。
まあ、消費期限の方は時節柄守っていただくとして。
恐れとか不安とかは本当に漠然とした捉えどころのないもののように感じられます。
たらればの起きていない未来に属するものだからとも言えますが、それを仮定する素地に幼少期の体験や思考があります。
人は人である以前に命を持った生き物、動物ですので、まず「生きる」ことを本能的に求めています。
健全な状態では「どうしたら生き残れるか」をクリアできる状態を求めているということです。それができて初めて高度な人間的欲求が生まれてくるというのはマズローが欲求の段階で示していると以前の記事でも触れました。
幼いころの経験に照らし合わせて、大きく生存の危機を感じたようなこと、恐怖になったことは避けるように記憶に刻み込まれるのだと思います。
だったら恐れに飛び込むなんて自殺行為だと思いますか?
勿論飛び込まなくてもいい恐れはたくさんあります。昨今動画投稿で話題になる類のものとか。他人から見たら恐れでも本人にとっては興奮を掻き立てるチャレンジのようなタイプのものをまねることなどでしょうか。
そういうものではなく。
当たり前にできるはずのことができないとか、理屈のない恐怖を感じるとか、恐れていることすら気づいていなかったような恐れとか、そういうものです。
それは恐れるようなことではないはずなのに――わたしが子ども用コースターにさえ死の恐怖を感じたように――未熟な認識の結果危険なものとしてご認識されてしまっているだけということがあるのです。
それは不自由なだけでありません。
実は恐れの向こうに宝物が眠っているときも多くあるのです。
恐れの起源が幼少期にあると書きました。
ここで例えを使いましょう。
小さかったあなたが犬に吠えられています。
あなたはそのチワワを可愛く思って気軽に手を伸ばしたのですが、そのチワワは気に入らなかったのです。猛烈に吠えかかってきました。
あなたは驚いて慌てて手を引っ込めましたが、その時少し歯が当たったかもしれません。
そして小さなあなたには怒ったチワワは大きく見えました。
あなたは噛まれると思って泣き出しました。
チワワは実は怖がって警戒していたのですが、目の前のあなたが泣き出したことで更に大きな声で吠えてしまいました。
結果あなたは「犬は怖い」「撫でようとすると噛む」という認識を得て、犬は怖い、嫌い、と結論付けました。
いま大人のあなたは犬が怖いと思っています。
他の人が仲良くしていても怖い。
自分は嫌われているのかもしれないし、実際自分が近寄ると犬も緊張しているように見えるのです。
でも落ち着いて。
リセットしましょう。
当時のあなたに大きくみえた犬は実はとても小さな存在です。
寧ろいきなり触れられて怖がっていたのは犬の方だと今ならわかるはずです。
あなたは経験が浅い子どもだったから、驚きとショックで状況を「肉体の生存に関わる危険なこと」と認識してしまったのです。小さなあなたにはもしかしたら命がけで狩りをして暮らしていた身体的記憶の欠片のようなものが呼び起こされたのかもしれません。
犬は目の前の人が自分をどのように扱う人かを感じているので、大人になったあなたの緊張を事前に感じ取っていたかもしれません。
どれも、小さなときの認識ではやむを得なかったことでも、いま大人になったあなたなら状況も違うし対処のしようもあるということがわかるはずなのです。
あなたは小さなあなたではないし、現状は命がけで狩りをしているわけでもありません。
小さな生き物たちが寧ろ自分を守るために知恵を駆使して生きていることを大人のあなたは知っています。尊重し愛情を示せば素敵なパートナーになる存在だということも。
理解という光で恐怖の源を照らせば、それは薄れ、存在できなくなるのです。
上手に例えを伝えきれなかったかもしれませんが、昔どんなに役に立った「身を守る知恵」も状況が変わったら必要なくなるだけでなく、単なる「制限」になってしまうということをお伝えしたいと思いました。
恐れという制限を超えた先には宝物が眠っています。
あなたは制限を超えて宝物を取り戻し、本来の輝きを放ち始めるのです。
わたしは自らもそうありたいし、同じようにそうあることを望む人たちを応援したい、助けたい、と思っています。
ありがとうございます。
今日も良い夢を。
(夢では人は恐怖に立ち向かう練習をしているときもあります。何か怖い夢――例えば追いかけられるような夢をみたら、どうぞ、何が追いかけてきているのかその正体を確かめてみてくださいね)