拒絶された世界~受容への道
今日の小さな気づきをシェアします。
わたしは得意でない方というのがそれなりにいらっしゃいます。
テレビに映ったらチャンネルを変えたい人もいます。
基本的には大声で騒ぎ立てるような番組作りは苦手なので、そのような番組の流れを作る人は苦手という図式になります。
この辺はHSPだから、音などの刺激に過敏なのも関係すると思います。
だから無神経な感じのする方、押し付けタイプな方も苦手です。
これは防衛本能みたいなものが働いているのでしょう。
でもそうじゃなくて。
肉食系のガツガツと競争意識丸出しでそれが自己顕示欲の為の競争の方とか、過度に性を強調した見た目や振る舞いをする方とか、HSPとは関係なく苦手な部類の方々がいらっしゃいました。
好きとか嫌いじゃなく、あんまり受け付けない感じで苦手。
自分に危害は及ばないはずだけれど苦手(潜在的には危害が及ぶと認識されているのかもですが)。
でも、色んなところで人と人との関りが制限されるようになって、閉じた世界で生きるようになって、だからこそ自分の安心安全が比較的守られるようになって。
そうして世界の見え方、周りの人の見え方が変わってきました。
内と外、自己と他という関係性から「わたしたち」に実感として変わってきました。
そしたら今日ご縁をいただいた友人との会話で、かつてわたしが苦手としていた方々が以前からは想像もつかない活動をされていることを知りました。それがとっても生き生きと活動されていて、以前テレビでお見掛けしていた時より断然素敵だったのです。
元々テレビという場所を活動の場にされたら通常の社交的な場よりもっともっと自分らしく生きることが難しくなるということの表れなのかもしれません。
今の自分はその友人との会話がなかったら、その芸能人の方の今など知ろうともしなかったわけです。わたしは当時の印象のままその人の属する世界を否定したままでした。
過去の1点における認識で自分の意識と相手を縛っていたということでもあります。
母が亡くなった時、自分の意識で相手を縛らないこと(=自分自身をそこから自由にすること)を学んだはずなのに、まだまだやっていたということです。はぁ。
当たり前のような話をしますがわたしは戦争反対派です。
世界のどこかで戦争が起きているというのは悲しいし、平和を望みます。
でもそれならわたしの内側が平和に満ちていなければなりません。
わたしの中で否定されたなにかはわたしの中で死んでいく。私自身が平和を実践し平和を生きなければ、口先だけの平和主義者になってしまう。
見た目で植物のある暮らしだとかペットとの暮らしとか発信して、そこから輪が繋がるのは嬉しくて。それはそれで平和で穏やかな愛ある暮らしのシンボルのようで。
でも、蚊にだって「これ以上、今からまだ私を刺すなら叩くよ」と宣言してからでないと叩けないわたしには、こころの中で誰かの属する世界ごと否定していたという事実はとてもとても重いことに感じました。
先日もののけ姫を見た感想に軽く触れました。
まだアシタカの感覚には完全に同調できていません。
でも今日は変化のスタートだと思います。
とっくに始まっていた新しい世界のスタート。本当の「輪」=「和」。そのための受容。
メビウスの輪が一周回るような、表立った部分が裏になりまた表になるような、そんな道のりが待っているような気がしています。
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画像はhirahiranoteさまからお借りしました。
大好きなんです・・・カエル。
このカエルがこの受容の旅路の終着点の一つの目安ではあります。行ってみないと判りませんが。
hirahiranoteさま、可愛いお写真ありがとうございました。
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