愛しさと切なさと心強さがやってきた
合わないピント
「愛しさと切なさと心強さと」
初めて聞いた時はまだ子どもだったこともあり何とも思わなかったし、成人してから聞いてもあまり自分と重なることもなかった。
ピンときていなかった。
だがしかし、ここ数年、そしてまさに今、これ以上にない位に自分の感情と重なるようになった。
子育てが始まってからこの感情は頻繁に現れるようになった。
ピントが合って見えたもの
我が子の成長を見るたびに、本人と喜び、夫にも私にも似た顔で喜ぶ我が子を愛しく思い、その直後にとてつもなく寂しくなったりする。
まとめて寝てくれるようになったら楽なのに。早く大きくならないかな。
何が不満なのか言葉が通じれば楽なのに。早く大きくなって。
身の回りのことを自分でできるようになってくれたら楽なのに。早く大きくなってよ。
そう思いながら生活していた日もあったのに、いざ成長していくと、もうあの日々は戻ってこないことに気づく。
もうあの頃の息子には会えないのだ。
やっと寝た…とお布団に置くと起きて泣く新生児だった息子を抱くことはできないし、喃語を話しながらよだれを垂らしてケタケタ笑っていた息子にも会えない。
そして今「だーいちゅきっ!」と走ってきて脚に抱きついてくれる息子とも、もちろんいつまで会えるかは分からない。
次は何が見えるかな
当然ずっと同じ人間を育てているのだが、どんどん別人のように変化していく息子。
我が子の成長は嬉しい。でも、それまでの幼さに触れられなくなっていくことに寂しくもなる。
そして、ここまで一緒に進んできた道を振り返ってお互いよく頑張ってるねー。
次は何ができるようになるのかな。これからもよろしくね。なんて思ったりもする。
部屋の片付けをしていたら出てきた12cmのサンダルに、まさかここまで泣かされるとはなぁ。
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