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私の人生設計

おいでませ。玻璃です。

退院した後は、結婚式までまっしぐら。
挙式は夫の故郷の新潟のニューオータニで。
それとは別に都内のライブハウスを貸し切って、友人のみを呼んでパーティーをした。
夫はバンド演奏、私はダンス披露。
そんな楽しいパーティーとなり友人一同に祝福してもらいながら私たちは夫婦となった。

六畳二間とダイニングのアパート、同棲時代から変わらぬ住まいでの新婚生活。でも、その前から一緒に生活していたので、特に何かが変わることはなく過ごしていた。

私には人生設計があった。
20代で結婚。そして子供を産み育てる。
その後、30代は子育てをしながらパートに出て、40代以降は子育てが一段落するころだから、趣味も頑張りたいなと。

なんと、ほぼその通りに進んでいった。
その中でも24歳で息子が生まれたときは、本当に心が動いた。
出産後、身体を綺麗にしてもらって、私の隣で真っ白な産着を着せられている我が子をそっと見ると、大きな目を開けてキョロキョロしている。
かつてない程の喜びと幸福感に包まれて胸の中に甘~いハチミツがあふれ出るほど胸がいっぱいになった感覚。
後にも先にもあれだけの幸福感を感じたことはない。

二人目の娘の時も嬉しかったが、やはりそこは二人目。
冷静な自分がいたし、お兄ちゃんとなった息子の心のケアをすることに気を配ったりで、始めて親になった喜びほどの心の動きは感じられなかった。
それでも、女の子が欲しかったし、何より無事に生まれてきてくれたことに感謝しかなかった。

息子は早い段階からアトピーがわかり、病院通いが多かった。
2歳くらいからは喘息も出てきて、まさにアレルギーマーチと言われるものだった。

環境が変わったり、季節の変わり目や天候の乱れなどでも現れる喘息症状。
新潟のおじいちゃんおばあちゃんのところに行くとゼーゼー始まるので、薬や吸入一式持っていくのだが、それでもダメなときは救急で見てもらえる病院を調べておいて、毎度受診していた。

そんな息子も薬を使いながらうまく体力づくりができて、いつの間にか発作を起こさなくなった。
おかげで今はいくら言っても喫煙をやめない。
それくらい良くなったということだと思うが、やめられるのならばやめてほしいのは、正直な親心だ。

そうして子育てと趣味のダンスもずっと頑張り続けながら人生設計通りに進んできたが、ある日誤算が起こった。
30歳を少し過ぎた頃、母が脳梗塞で倒れた。
この続きはまた来週。

ではまたお会いしましょう。

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