はじめまして。玻璃(はり)です。 終活として・・・。 私の人生を振り返って、 個性的な家族や関わってきた人たち、あの時伝えたかった言葉やエピソードを綴っていきます。 今日は初めての投稿なので、簡単な自己紹介を。 私は、アポロ11号が月面着陸をした年に山口県萩市で四人姉妹の末っ子として生まれました。 小さいときから大人ばかりの中で育った“おませちゃん”。 激動の実家話はまた追々。 今は仕事をしながら介護をしつつ趣味に励む毎日です。 さて、このエッセイのタイトル「はぎいろ
おいでませ。玻璃です。 奨学金のお世話になりながらも、なんとなく勉学にやる気の出ない私。 学校帰りにバイトをして、疲れて帰って寝る。 朝が起きられない。 遅刻する。 授業中眠くなる。 眠気防止に机の引き出し部分の空間からそっと小説を手前に出してこっそり読む。 全くやる気なし。 この頃両親がまた変な動きを始めていた。 新しい商売を始めるという。 私は嫌な予感でいっぱいだったが、両親は意気揚々、やる気満々だ。 私的には 「怪しいだろ!?」 と思えるおじさんがまた自宅にやっ
おいでませ。玻璃です。 いつものように業間休みに、ユキエ、ヨーコ、ナカさんと4人組で輪になって喋っていたら、チビしんがやってきて廊下に呼び出された。 今は使っていない空き教室があるのだが、そこに行けという。 「何ですか?」 「いや、行けばわかるから。事務の方から話がある。」 頭の中にはクエスチョンマークがいっぱいだ。 そして、嫌な予感しかしない。 空き教室に入ると、数人が集められ、適当な間隔を空けて座っていた。 学年も男女も関係ないようだ。 しばらくすると学校の
おいでませ。玻璃です。 今のようにスマホがあるわけでもない、そんな昭和で青春時代を過ごす私の夜の楽しみと言えば漫画本。 別冊マーガレットが大のお気に入りだった。 紡木たくさん、いくえみ綾さん、くらもちふさこさん、多田かおるさん…。大好きな漫画家さんのオンパレード。 連載が気になって気になって発売日には学校帰りの駅のキオスクで即購入していた。 別マも好きだったが、この頃の私がこよなく愛していた漫画家さんは吉田まゆみさん。 単行本を買って何度も何度も読んでいた。 特に好きだっ
おいでませ。玻璃です。 いつの時代も17歳と言えば、洒落っ気が一番出る頃ではないだろうか。 当然私も例外ではない。 髪型を常に気にして、休みの日には、ピチピチに弾ける肌に必要のない化粧を施す。 今、あの肌を手に入れることができたなら、きっと日焼け止めだけで、堂々と銀座に出かけるだろう。 だが、私には決定的なコンプレックスがあった。それは… 「若白髪」 耳の後ろのあたりをかき上げると白髪が多量に顔を出す。 今の白髪と性質は違うが、髪を結んだりするとあちこち白髪が主張し
おいでませ玻璃です。 ヒロシくんとお別れしたピキンと寒い冬の日から、緩やかに時は流れ、フワリと暖かい春の空気をまとって私は高校2年生になった。 担任は持ち上がりで、わが校の理事長の孫でボンボン教師のチビしんだ。 ただ、マサエとはクラスが離れてしまった。 さて、誰と一緒に行動する? どこのグループに属するかは、今後の高校生活を華やかに過ごすか、地味に過ごすかを大きく左右する。 クラスには一年生の時と同様、萩市から通っている生徒は少なく、高校のある地元長門市の子が多かった。
おいでませ。玻璃です。 空気がぴんと張った寒空の下の公衆電話ボックスからヒロシくんが交際を申し込んでくれて、スタートした私の恋。 でも、週末にヒロシくんが島に帰る時くらいしか会えなかった。 たまにマサエの家のプレハブの離れで会えたが、学校が終わってからだと自宅に帰るのとは反対方面だし、そうするとちょっと会って帰るというわけにもいかず、やはり週末デートくらいしかできない。 そうなると二人の頼みの綱は電話と手紙だった。 電話はいつもの公衆電話から、寮の夕飯が終わったらかけて
おいでませ。玻璃です。 ある土曜日の山陰本線の列車で見かけた「尚之」こと、ヒロシくん。 その後、マサエと彼氏のフトシさんに協力してもらって、いよいよご対面することになった。 ちなみにマサエの彼氏のフトシさんは水産高校の3年生。 フトシと言う名前だが、背がずいぶんと高くてヒョロリと長く、どちらかというとホソシさん。 風貌は布袋寅泰さんの目を大きくした、そんな印象だった。 一方、マサエは太っているわけではないが、ちょこっとポチャでとにかく太っ腹母ちゃんという印象。でも話すと
おいでませ。玻璃です。 一目会ったその日から 恋の花咲くこともある 見知らぬあなたと 見知らぬあなたに デートを取り持つ パンチDEデート!! 昭和世代のあなたなら 「懐かしぃ~」と思わず叫んだかもしれない。 桂三枝さんと西川きよしさんが交互に言うこのセリフで始まる番組は、 子供の頃から放送されていた視聴者参加型の恋愛バラエティ『パンチDEデート』。 男女の登場から途中まではカーテン越しに仕切られていて、男性側にきよしさん、女性側に三枝さんが介添え人として付く。 それ
おいでませ。玻璃です。 商業科に入学した以上、商業科目が勉強できなければ話にならない。 商業科と言えば代表科目は簿記だ。 貸方?借方? 貸借対照表? 精算表? 何じゃこりゃ? 初っ端からつまづいた私は、全くやる気ゼロ。 しかも担当の先生の説明もわかりやすいとは言えない。 簿記担当は舞姉さんが通っていた頃に担任をしていたハシモト先生だ。 私が舞姉さんの妹だとわかると、ちょいちょい舞姉さんの名前を出してきて比較する。 それがうんざりの原因か、一学期の中間試験は悲惨そのもの
おいでませ。玻璃です。 私の高校生生活は部活なんて最初から入る気はなし。 それよりバイトしなきゃ。 今みたいにスマホで簡単、すぐに次の日からバイトに行くということはできず、お店の前の張り紙を見て電話をするとか人からの紹介とか。 とりあえず、高校の近くの小さなショッピングモールの中のレストランでバイトをすることになった。 でも、休みの日にわざわざ高校のある長門市まで列車に乗っていくのも面倒だし、定期券が切れた時にはお金をかけていくのはもったいないと感じた。 そこはすぐに
おいでませ。玻璃です。 山陰本線長門駅に降りて、生徒の列に紛れながら歩いて行く。駅から歩いて10分くらいだろうか。 少し小高いところにそびえ立つ中世ヨーロッパのような建物が私の入学したN高校だ。 さすが私立高校「お金かけてます」と言わんばかりの外観が、そこだけ異空間となっている。 この学校とは思えない学校の商業科で3年間過ごす。 まず入学してすぐに気にかかるのはクラスのこと。 萩から一緒に通っている仲のいい子たちはほぼ2組と3組だった。 私は5組で、萩から通う親しい友達は
おいでませ、玻璃です。 これから先の事を不安に感じながら、私は大好きだったショージ学級とお別れをして、晴れて高校生になった。 私の住んでいる萩市から山陰本線の列車で40分。 毎朝7時05分の列車に乗っての通学だった。 当時の列車は4、5両くらいはあったような気がするが、先日の帰郷では1両だけだったので、時の流れを強く感じ、なんだか物悲しく感じた。 この頃、この列車を利用するのは一般の乗客だけではなく、私たちの高校の生徒と水産高校の生徒、そして魚の行商の通称“カンカン部
おいでませ。玻璃です。 私立の高校に入学が決まっていた私は、公立組の生徒たちよりも早く、卒業を待つばかりの気楽な毎日になった。 父は工務店の仕事は行ったり行かなかったり、焼き肉屋をやったりやらなかったり。なんだかやさぐれた様子で自室にこもり、暗い部屋でお得意の爪の甘皮を剥いでいた。 この頃、焼き肉屋の営業は最初ほどの繁盛はないもののなんとか営業できていたと思うが、なぜかこの頃の記憶があまりなく、長い期間営業していた記憶がない。 休日の昼間、母は度々出かけいた。 「ど
おいでませ。玻璃です。 胡散臭いおじさんはあれ以来見かけなくなった。 その分、父も母も出かける事が多くなってきたようだ。 何が起きているのかわからないながら、私はいつも通りの生活を送っていた。 学校では仲の良い友達に囲まれて、毎日楽しんでいたと思う。 その頃、学校では受験に向けて面接の練習が行われていた。 出席番号順にひとりずつ職員室に行き、ショージ先生と面接の練習だ。 当然自習となった教室はみんな自由奔放。本当なら順番に職員室の前に行って自分の順番を待たなければな
おいでませ。玻璃です。 順調にいっていたはずの父の工務店の様子が少しおかしい。 抱えていた職人さんも一気に減ったし、事務員のヤマモトさんも辞めてしまった。 また父は仕事を変えたのだろうか? なんだかわからないが、急に母が焼き肉屋を始めた。 きっと父の仕事上で何かがあったのだろう。 家からは離れているが、街の方にあったこの焼き肉店は繁盛していた。 母は旅館の女将をやっていた頃のように店を切り盛りしていた。 何をやらせても器用な父も焼き肉屋の店に立つことが増えた。 こちらは