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川の流れのように①

おいでませ。玻璃です。

大正から昭和に変わって8年経った頃、辰一とトメに女の子が誕生した。
私の愛する母だ。

昭和に生まれた子で
昭子(あきこ)

激動の時代“昭和”と同じように昭子の一生も波乱に満ちたものだった。

父母の営んでいる牧場と牛乳の商いが軌道に乗っていて、昭子と妹の陽子はお嬢様として育った。
まだ貧しいあの頃に日本舞踊を習うなど裕福な生活をしていた。

小学生の頃、妹の陽子が友達を連れてくると昭子はみんなで一緒に遊んで年下の子達の面倒をみていた。
陽子が大人になってから同窓会に参加すると、「お姉さん元気?」とまず聞かれるという。

「私がいじめっこにいじめられるとどこからか陽子ちゃんのお姉さんが飛んできて助けてくれたんよ。今でもわすれられんわ。」

時は流れ、そんなお人好しの昭子も娘盛りになった。
髪はチリチリにパーマネントをあて、高校生の時の集合写真も斜めにカメラを見据え、女番長のように写っている。

休みの日は牧場にいた馬に乗って海岸沿いを走る。
鞍もつけず裸馬にまたがり波打ち際を走る姿。日焼けしほっそりと伸びた足が馬の腹を打つ。

「ハッ」
パッカパッカパッカパッカ

運動神経良し、器量良し、頭脳良し。
この頃の昭子には怖いものはなかっただろう。

20歳になると家を継ぐのが当たり前のあの時代、お見合いの話があちこちから舞い込んだ。
そのうちの一人ヒロシを婿養子として迎え結婚。

ヒロシとの間に3人の女の子を授かった。親愛なる私の姉たち。

昭子とヒロシは幸せに暮らしました。
…とはならなかった。

妻になったとはいえまだ若く、美しく気さくな性格の昭子はモテたのでヒロシはヤキモチを焼きケンカも多かったという。
婿養子に入ったヒロシは、厳しいトメや辰一の前では身の置き場がないと感じ、ヒロシの方も浮気が発覚するなど二人の間に冷たい空気が流れることが増えた。

そんな昭子たちを見て母親のトメは居ても立ってもいられなくて、つい口を出す。当然昭子は面白いわけもなく、親子喧嘩も絶えなかったという。

家庭の中でケンカが繰り返される様子を幼い頃から見続けできた姉たちの心を思うと本当に胸が痛む。

昭子はこの生活を続けるには疲れすぎていた。まだ幼かった姉たちを引き取る形で、ヒロシとの別れを決意した。

この続きは次回。
では、またお会いしましょう。

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