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月の子のハナシ

おいでませ。玻璃です。

今日は2番目の姉、月子姉さんの話。
月子姉さんと私は同じ酉年、12歳の歳の差だ。

月子姉さんは姉妹の中でも一番背が高く、若い頃は菊が浜で焼けた小麦色の肌に白い水着がよく似合う、モデルさんのような女性で、男子の憧れの的だった。

そして中学生の時は体操部で身体も柔らかくエースだった。
今でもヨガに欠かさず通っている。

月子姉さんが思春期の頃、母と祖母の言い争いや親の夫婦喧嘩、商売でバタバタと落ち着かない我が家が苦痛だった。
「早く家を出たい」
そんな気持ちから山口市の寮のある高校に入学をした。

寮生活は楽しいものであったが、一つだけ大きな問題があった。
お風呂がある場所まで必ず通る場所。
墓地の脇道。
そこには火の玉が飛ぶという噂があった。
そして、月子姉さんもついに見てしまった。しかも何度も・・・。
今となってはこれは霊現象ではないとされているが、当時の高校生にとっては毎日の入浴時にここを通るのは恐怖でしかなかった。
その事で、あんなに嫌だった自宅に戻ることを決意したのだった。

自宅に戻ったはいいが、自宅からだと一時間半のバス通学になる。
乗り物酔いの激しかった月子姉さんにとってはこれも大変なことだったと思うが、慣れというものは怖いもので、三年生の頃にはバスの中で読書ができるほど乗り物酔いを克服した。
ただ、克服できないものが・・・。
月子姉さんは、低血圧で朝が異常に弱く、なかなか目が覚めない。
バスに乗り遅れることもしばしばだ。

そこで活躍するのが我ら四姉妹の母、昭子。
母の車の運転の腕はかなりのもので、自宅から新幹線駅までの45分の道のりは平気で30分切っていたし、山道でもぐんぐん飛ばす人だった。
そんな母が寝過ごした月子姉さんをマイカーに乗せて、バスを追いかけ追い越し次のバス停で姉を乗せる。鮮やかな運転テクニックで何度も追いかけていた。

ところで、我が家の旅館の庭には鯉が泳ぐ池があり、この池を作ったのは父の洋平だった。そのための大きな石を取りに少し離れた岩場の海に出かけていた。
その度に父は月子姉さんに声をかけた。

「月ちゃん、池を作る石を今日も取りに行くけど行くか?」

「行く行く。」

「学校は?」

「もちろんサボり!」

そう言ってシュノーケルセットを持って父と一緒に岩場の海に出かけて、父も呆れるほど何度も海に潜っていた。

その後、東京の短大に行きながら、プリンスホテルのラウンジでアルバイトをしたお金でイギリス留学を果たした。
そこで知り合ったスペイン人の男性と結婚をし今はスペインに住んでいる。
慣れないスペイン語を勉強し、スペインの航空会社でCAを長年勤めた努力家。

離れて暮らしているけど、いつも年の離れた私のことや家族のことを気にかけてくれている、半分母親のような存在の姉だ。
コロナ禍が落ち着いてきたこともあり、来月に帰国予定。
会えるのが今から楽しみだ。

ではまたお会いしましょう。


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