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黒い物体X

おいでませ。玻璃です。

家を飛び出してきた洋平は昭子の実家の牧場に住み込みで働くこととなり、昭子の父、辰一と一緒に牛の世話や牛の買い付けに行った。

牧場の朝は早い。
朝というより、まだまだ夜が続いている時間から起き出して働く。
若い洋平は時々無性にずる休みをしたくなった。

「腹が痛いから今日はお休みさせてください。」

「あら、洋ちゃん。そりゃいけんね。部屋で休んでたら。」

と、昭子の母トメ。
洋平は心の中でガッツポーズをしながらいかにも具合悪そうに部屋へ戻る。

「よっしゃ~!寝るぞ~。」

トントントン
「洋ちゃん、ちょっとええかね?」

ドアを開けるとトメが盆を持って立っている。

「お腹が痛いんやろ?薬飲んだらええよ。」
と鼻が曲がりそうな匂いを放つ、黒い粒を差し出してきた。ラッパのマークの正露丸だ。

「いや~飲まんでも大丈夫です。」

「あら、それなら今からでも間に合うから牧場の方お願いね。」

「あ、いや・・・そのぉ、また痛くなってきた!」

「ほれ、そんなにすぐには治らんよ。これ飲みなさい。」

グイっと正露丸を口元に近づけてくる。
洋平はこれを飲んで休むか?素直に仕事に行くか?天秤にかけた。

「あ、じゃあいただきます。あとで飲むんで・・・」

盆ごと受け取ろうとしたがトメは盆から手を離さない。
洋平が目の前で飲むまでテコでも動かないつもりらしい。
洗いたての寝巻きの浴衣の襟をキチンと合わせ、シャンと伸ばした背筋で真っ直ぐに洋平を見つめている。

洋平は鼻呼吸は一切せずに、黒々としたいかにも苦そうな正露丸をエイッと口に入れて多めの水で飲みこんだ。

「じゃ、ゆっくり休んでね」
と、トメはようやく出て行った。

きっと、バレている。あの鋭いトメは騙せない。
悟った洋平はずる休みはしばらくできないなと、正露丸の匂いでムカムカする胸を撫でながら二度寝のために布団に入った。

そんな事をしながら洋平が家を飛び出して2年くらいたった頃だろうか。
昭子のお腹に新しい命が宿っていることがわかった。
そのことでまわりも二人のことを認めないわけにいかなくなった。
洋平は婿養子として昭子と結婚した。
だが、洋平は昭子の妊娠中も夜な夜な若い女の子も交えたグループで遊び歩いていた。
その度に昭子は洋平の帽子を踏みつけて怒りを鎮めていたらしい。

少し大きくなった私に母は
「妊娠中に私が怒りに任せてお父さんの帽子を踏んでいたから、玻璃ちゃんは地団太踏んで聞き分けがないんやろうね」
と笑っていた。

そして桜の花が咲く4月のはじめ、牛舎の仕事がひと段落つく夕方、女の子が産まれたと連絡が入ったのだった。

続きは次回。
またお会いしましょう。





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