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帰郷モンタージュ③
おいでませ。玻璃です。
今回の帰省で、私と舞姉さんの思い出の場所をいくつか巡った。
「銀河鉄道に乗って②」で登場した、海沿いのカーブの国道に建つ小さなアパートの前を通ってみたが、アパートはもう無くなっていて、渡った道路の向かい側の商店もとっくに無くなっていた。
寂しい気持ちはあったものの、舞姉さんと
「ここ!ここだったよね!!」
と少し興奮気味に懐かしく眺めた。
舞姉さんが私と汽車に乗って旅立とうとしていた無人の駅。
こちらは相変わらずの無人駅として今もあり、無人ホームに登る草の茂った階段は健在だった。(写真は撮れなかった)
私は、小さい頃から足場の悪いところや高いところが苦手だ。
そんな私を鍛えようとした舞姉さん。
萩城跡にある指月公園の中にある石垣の階段を上がったり降りたりする訓練を始めた。
だが、怖がりな私はいつも身体が固まってしまい、少し上がってみたはいいが降りることができない。
「怖いよ~。舞姉ちゃん、助けてぇ~。」
と、石にしがみついて動かない。何度やっても同じことだ。
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小学生になると自転車の補助輪を外して乗る練習を始めた。
もちろんコーチは舞姉さん。
練習場所は裏の菊が浜。松の木の間を抜けてユラユラおぼつかない足取りでペダルを踏む。自転車の後ろを舞姉さんが持ってくれたが、私の恐怖心の方が勝っていて、ハンドルを持つ手も力が入りすぎだし、すべてのバランスがとれない。
「玻璃ちゃん!離すよ!」
「うわ~」
ガシャン!!
結局、一日目は惨敗。その日の夕食は自己嫌悪でご飯が全く喉を通らなかった。
二日目もコーチは舞姉さん。前日より少しバランスが良くなったので、持つ手は自転車の荷台から昇格して、私のスカートの吊り紐を後ろで持ち、一緒に走ってくれた。
「舞姉ちゃん、持っとってね!」
「玻璃ちゃん、持っとるから走って!!」
「持っとってよ!!」
「持っとるよ~」
舞姉さんの声はだんだん遠くになる。いつの間にか一人で乗れた。
舞姉さんの作戦勝ちだ。
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こうして、舞姉さんとの思い出は語り尽くせないほどある。
大人になってからは、20年以上私のジャズダンスの師でもあり、所属していたよさこいチームの代表でもあった。
いつもいつも私の心と身体を鍛えてくれて、私が強くなるように、輝けるように導いてくれた大切な存在だ。
今回の旅の締めくくり。
帰りは舞姉さんと二人で関東に戻ることとなった。
私は飛行機の出発前にとてつもない腹痛に襲われた。
そんな私の手を取り、胃腸のツボを押してくれたり、痛みでパンパンになった背中や肩をマッサージしてくれた。
「あぁ、私はいつもこの人の世話になり、守られてきたんだなぁ」
と、撫でてくれる手の温かさを身体に感じながら、感謝の気持ちが体中を満たしていった。
約二年前、舞姉さんは大病をした。
それを聞いたとき、今まで感じたことのないような恐怖と不安が私を飲み込み、涙が止まらなかった。
私は舞姉さんに何か返せたのだろうか?
妹としてやってあげられることはどんなことがあるのだろうか?
胸が潰れるような想いだったが、そこは我らが舞姉さん。
手術を受け復活した。しゃべりづらいとか、食べづらいとか後遺症は残ったが、日々訓練をし、今ではダンスの講師業も社長業も復帰した。
これから先もずっと私の憧れであり、支えである。
大きな大きな防波堤のひとり、舞姉さん。
変わらぬ美しさでダンス人生を楽しんでもらいたい。
では、またお会いしましょう。